メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

叔母が死んだ(ときに書きかけていた文章)

(1年以上前に書きかけて下書きに入っていたエントリーをみつけたので)

土曜に、母から「叔母さんが亡くなりました」という連絡があった。少し前に見舞いに行った姉からも「もう一ヶ月持たないかもしれない」と聞いていたので不思議はなかった。何よりわたしにとっては多分二十年以上顔を合わせていない彼女が、祖母より叔父より長く生きたことは不思議にも思えた。

 

父の実家は不思議な家だった。

 

敷地の入り口から数分車を走らせたところにあるのは「かつては栄えていたのだろう」と思わせる屋敷だが、あまりに古びて横溝正史の小説のようで不気味だった。いくつもの和室の周囲をぐるりと取り囲むように長い廊下があり、「はばかり」は人の集まる場所から一番遠いところにあるからトイレに行くのが怖かった。もちろんぼっとんだ。

 

仏間には謎の剥製が並んでいて、若い頃叔父が猟をしていたため鉄の檻に2匹のダルメシアンがいた。居間には常に複数の猫がいた。台所に常にエサ皿と水がおいてあり、ドアには猫用扉が設置されていたため野良猫も出入り自由。おかげで一時は軽く十匹以上のねこが出入りする猫屋敷状態になった(どうやらかつては、まだ元気だった叔母が生まれてきた猫を川に流すことで個体数を調整していたらしい。そういう時代だった。その後はがんばって従兄弟が穏当な方法で猫を減らした)。ちなみにダルメシアンはある日田んぼのあたりで嘔吐して死んでいたのだという。その時既に精神的に不安定だった祖母は、具体名をあげて「〇〇さんが毒を盛った」と言っていたが真偽は確かではない。

 

父が高校生の頃に鬼籍に入った祖父のことを幼い頃のわたしは「若くして亡くなった可哀想な人」だと思っていたが、実際のところ父は祖父にとって三人目の妻の子だった。祖父が六十代で授かったのが最後の子どもであるわたしの父、つまり祖父は当時としては大往生を遂げたのだろう。挑戦的な農業で利益をあげ、その金をすべて繁華街にばらまいた。白いスーツを着て、毎月十万円分タクシーに乗り、夜の街の女の子たちを「資生堂の化粧品を買ってあげる」と口説き回っていたという祖父は頭の禿げた、特に美男子でもない写真だけを残している。二人目の妻と三人目の妻を一時期は同じ家に住まわせていたらしく、認知した子供が大阪にいるということは死後に判明した。

 

祖父は業の深い人間であるが、人たらしだったので彼自身は誰にも恨まれることなく死んだが、残された人間はそうはいかない。幼いわたしには見えないところで、いろいろな軋轢はあったのだと思う。難しい家に嫁いだ叔母は、見えないところで苦労もしたのだろう。

 

奇妙といえば、一応農家ではあるのだが叔父と叔母は農業をしている時間が極端に短く、しょっちゅう車で都市部にでかけてパチンコに熱中していたので、稼得手段も謎だった。というか今も謎のままだ。年金と農業が主な収入源だったのだろうか。酒は飲まないが、全員がタバコはよく吸った。

 

気難しいが、会いに行けばそれなりに優しかった叔母は長いあいだ躁鬱に苦しんでいた。家に行っても「叔母さんは今日は調子が悪いから」と言われ出てこないことが増え、いつだったか農薬を飲んで自殺未遂をして入院した。その後はほとんど寝たきりで祖母の葬式にも出てこなかったし、数年前にすい臓がんで叔父が死んだことも認識してたかはわからないようだ。

 

わたしが最後にその家を訪れたのはいつだったか。学生時代は年に一度ほどは帰省ついでに出かけていたが、就職してからは一度か二度あったかなかったか。ともかく、叔母の訃報を耳にして、わたしは多分もうあの古い家を訪れることは二度とないんだろうなと思いしんみしりた次第である。