メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

予想外のサバイバル

基本的に出不精で、歩いていけない場所に行くのは好きではない。地図も読めないし時刻表も読めないし、極端に人見知り。そのくせ、必要に迫られ、月に一、二度は泊まりがけで出かける。
「極端だよね。家にいるか、飛行機とか新幹線乗ってるか」
友人に不思議がられ、しかし、出かけたところで、目的地に行って用事を済ませる以外は喫茶店で本ばかり読んでいるわたしの遠出に観光の文字はない。果たしてそれを「旅」と呼んでいいのかどうかすら、本当のところよくわからない。

数年ぶりに青春18きっぷを購入した。

今月あたま、四国に行く用事ができたのだけれど、新幹線もなく、飛行機の便数も絶望的に少ない。それならばいっそ、のんびり在来線を乗り継いでゆこうと考えたのだ。一人での鈍行を利用しての遠出ははじめてだった。学生の頃、夏休みに18きっぷで旅行をしたことは何度もあるが、いつだって隣で誰かが時刻表を捲ってくれていた。わたしは時刻表を読むことができない。結果、インターネットで調べた乗り換えリストだけを頼りに、3日間、なんとか予定どおりに行程を終えた。合計30時間以上を電車に乗って過ごした。音楽を聴き、窓の外を眺め、飽きたら、文庫本を読む。延々とそれを繰り返すだけの3日間だった。春だというのに山の中で吹雪に見舞われたり、深夜早朝には不思議な人に声を掛けられたり、ひやひやする場面はあったもののn、わたしは少しだけ、自分の旅行能力に自信を持った。

そして、残った2日分の18きっぷを使い果たすために、この週末は、広島へ。問題なく往路。以前、乗り方がわからず往生した路面電車も無事クリア。道に迷いながらも目的を果たし、翌朝帰途へ。山陽本線に揺られること4時間、山口県内を走っている最中、携帯電話にメールが入った。最近連絡を取っていない友人の名に、首を傾げながらと本文を開く。

地震、大丈夫だった?」

え? と思った瞬間、停車した電車内にアナウンスが流れた。九州地方で大きな地震があり、JRは全線ストップ。線路点検を含め、復旧作業にどれくらい時間がかかるかわからない。わたしの帰る場所は、福岡市中心部。

それから8時間。まるきりサバイバルゲームみたいなやりかたで、どうにか家に帰り着く。ほとんど電話もメールもつながらない混乱状態のなか、なぜかTさんとだけメールが通じていた。彼女は、めちゃくちゃになった部屋の中から、テレビの交通情報をわたしに送り続けた。電車は駄目。下関まで多分、バスで行ける。関門海峡は、フェリーなら渡れる。小倉から、西鉄バスが動いてる。次々と携帯電話に送られてくる彼女の情報だけを頼りに見知らぬ土地で路線バスに乗った。歩いた。走った。船に乗った。

こうしてまたわたしの一人旅経験値は上がってゆく。

地震発生後のサバイバルゲームを生き抜き、なんとか福岡に帰り着いた頃にはすっかり日は落ちていた。飲食店もデパートも臨時休業。福岡に住むようになってそろそろ一年が経つけれど、こんなに静かで暗い天神の街は見たことがない。「本棚が倒れた」「CDが降ってきた」、近所に住む友人からそんな話を聴いてはいたものの、正直、甘く考えていた。わたしの部屋は二階建ての小さなアパートだから、高層階に比べれば揺れは少ないだろうと。ロフトの隅に積み重ねているCDだけは、崩れているかもしれない。ケースが割れているだけならいいけれど、盤面が傷ついていたら嫌だな、そんなことを呑気に思いながら部屋の鍵を開ける。

部屋に入れない。倒れた食器棚が、目の前をななめ塞いでいた。しゃがみ込んでその下をくぐり抜け、無理矢理部屋に上がると、割れた食器の破片で足の裏がちくりとした。慌ててルームシューズを探す。
家具がすべて、50センチは移動していた。トイレの中の棚が落下していた。シャンプードレッサーの棚のものもすべて散らばっている。時計が落ちている。鍵を閉め忘れていたのか、ベランダ側の窓が開いてカーテンが揺れていた。おそるおそるロフトに上ると、まるで前衛芸術みたいに本とCDが散乱している。

まず、気を落ち着けるために、順番に知り合いに電話をかけた。やたら呑気に、「なんか、すごいんだよ」と状況を報告する。それからゴミ袋を出して、雑巾を絞って、部屋を片付けはじめる。おおよそ部屋がもとの状態に戻って、再び電話。話しながら、気づく。

「あ、あたし、本とCD前と同じ積み方しちゃった」
「え、それって余震が来たらまた……」
賽の河原の石積み、だね」

ひとつ積んでは父のため。ふたつ積んでは母のため。
幸い震度3の余震が何度か襲ってきた今も、再崩落は免れている。