メトロガール

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百年の孤独|ガルシア=マルケス

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

内容を知っている本なので、先にぱらぱらと解説部分を読んでしまった。「コレラ」「娼婦」では、訳者の木村栄一氏が解説を手がけているのだけども、今回は作家の梨木香歩氏による。最後の「愛の成就」の部分について、とても興味深い。

難解に思えるほどたくさんの人間が関係を紡ぎ結ばれた物語の中で、なぜアマランタ・ウルスラとアウレリャノのあいだにだけ「愛があった」というのか。他の人々のあいだに、愛はなかったのか。だとすれば、ガルシア・マルケスのいう愛とは何なのか。本来読者の理解を助けるはずの解説は、こんな疑問符を投げかけて閉じられる。

ところで、先月「コレラの時代の愛」を読んだ後、ずっと考えていたのは、タイトルの「愛」は一体何を指すのかということだった。額面通りに受け取るならば、やはりフロレンティーノ・アリーサが気の遠くなるほど長い年月フェルミーナ・ダーサを待ち続け、ついには彼女と結ばれるに至った愛のことなのだろうか。だったら、フェルミーナ・ダーサとウルビーノ博士の数十年に渡る夫婦生活は? 感情の齟齬と衝突を積み重ね、乗り越えてたどり着いた平穏は、愛ではないのだろうか。フロレンティーノ・アリーサが多くの娼婦や人妻や、その他の女性と交わした感情はどうだろう。(哀れな少女アメリカ・ビクーニャへの愛情については明言されているが)それ以外の女性たちとの関わりは、すべてが欲望や打算のみに裏打ちされた、愛のないものだったのだろうか。

わたしはそれらすべて、いかにもドラマチックで小説的な愛も、日常生活の中そっと醸成されてゆく愛も、一見純粋さとは一線を画すように思える肉体によって結びつけられた愛も、すべてを包括して「コレラの時代の愛」であるのだと理解した。

昔、はじめて「百年の孤独」を読んだときは、エピソードを追うことだけに必死になってしまい、そこに描かれる「愛」にまでは考えが及ばなかった。今回はそのあたり、注意を払いながら読んでいこうかな。