メトロガール

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箱舟の航海日誌|ウォーカー

箱舟の航海日誌 (光文社古典新訳文庫)

箱舟の航海日誌 (光文社古典新訳文庫)

いつの間にやら、古典新訳文庫もずいぶんと充実してきた感。

「おなじみのあの作品を新しい訳で」という読み比べの面白さと「いまや入手困難のあの作品を新しい訳で」という復刊的要素、どちらも意図したレーベルだと思うのだけれど、個人的にはやはり、未読の作品に興味を惹かれてしまう(亀山カラマーゾフは、全巻揃ってから一気に読む予定)。

ちょうど本屋で手に取ったこの作品。英国人作家ウォーカーの、子ども向け寓話「ノアの方舟」。

豊穣の大地で、穏やかに、果実を食んで暮らしていた動物たち。ある日「遠くの丘に、大きな家を造っている人間がいる」という噂がたつ。真偽を確かめに向かったサルが見たのは「空から水が降ってきたときのために」巨大な船を造るノアとその息子たちだった。じき、ノアの予測どおり、世界は黒雲に覆われ、大地に豪雨が降り注ぎはじめる。動物たちはノアの箱舟に乗り込みかろうじて難を逃れるのだが、長い船内生活のなか、敵意や悪意などとは無縁だったはずの動物たちに少しずつ変化が現れる。

文体挿絵ともに「ドリトル先生」を彷彿とさせる、たとえば、二頭の馬の上半身がくっついたようなかたちをした架空の動物を井伏鱒二は「オシツオサレツ」と訳したけれど、この作品で、まんまるいからだを持ち転がることでしか移動できない小動物は「フワコロ=ドン」と名付けられている。作品には、邪悪の象徴として「スカブ」なる生物が出てくる。もともとは他の動物同様に朗らかな性質を持っていたこの動物、ふとした拍子にウサギを噛み殺してしまい、肉の味を知ったことから心に潜んでいた邪悪が目を覚ます。それが姿にも現れ、ひどく醜悪な外見になった。動物たちに忌み嫌われ、隠れて生活することが長くなり、「スカブ」自体が動物たちからは忘れ去られた存在になってしまう。

「スカブ」は大雨の折、ノアの箱舟にそっと乗り込む。ねこをかぶった愛想のいい姿でいったんは周囲に受け入れられるものの、次第に本来の邪悪がにじみ出てきてしまう。結局この「スカブ」がライオンやトラやキツネのような動物(これまでは果物や穀物を食べていた)をそそのかし、ここで漠然とした「捕食者」「被食者」の溝が生まれてくるのだ。

あくまで聖書を下敷きにした話だし、キリスト教的な感覚で受け止めるとすんなりいくのかもしれない。けれどわたしはこの話の「肉食が悪」と言わんばかりの描写には違和感を覚える。そして、世の邪悪のすべてをたったひとつの「スカブ」という生き物に背負わせてしまっていることが、どうにもやるせない。「スカブ」自体、極限状態で生まれる不安や不信の比喩だと見ればよいのかとも思ったけれど、どうもそういうわけでもなさそうだ。

訳者は解説で「冒頭に描かれる動物たちの邪気のなさが、スカブの陰湿なそそのかしによって蝕まれていくさまに、胸をつかれるおとなの読者も多いだろう」と書いている。この人は、「スカブ」の存在そのものに、胸は痛まなかったのだろうか?