メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

さくらんぼの性は|ジャネット・ウィンターソン

さくらんぼの性は (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

さくらんぼの性は (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

山のように大きな体を持つ「犬女」と、彼女がテムズ川の泥の中から拾い上げた少年ジョーダン。船乗りとなったジョーダンは、ただひとりの愛する女性を求めて旅をする。彼が行くのは、幻想か現実かもわからない、あちこちの世界。川縁の娼館では女たちが館の主をけむに巻き、井戸の底では同時に嫁いだ12人の王女たちがおのおのの結婚生活の顛末について語る。ある街では、愛が世界を滅ぼす疫病だと憎まれている。一方の「犬女」は孤独を好み。数少ない愛情の対象である「息子」ジョーダンの帰りを待ちながら、彼女もまた17世紀ロンドンを舞台に冒険活劇を繰り広げる。

カンタベリー物語がマジックリアリズムと出会ったような雰囲気で、イギリスらしいといえばらしいし、らしくないといえばらしくない。幻想的で鮮やかな小説。「気は優しくて人殺し」ドッグ・ウーマンも、ジョーダンも、それ以外のすべての登場人物も、結局は愛を希求している。愛を求める冒険譚だ。

ジョーダンは、彼にとってのファムファタールを追いかけ、街に愛という疫病をはびこらせる。彼は「フォーチュナータ」というくっきりとした「愛」のかたちを知っているが、決してそれを手に入れることはできない。犬女は、その特異な体躯、腕力のせいで「あたしは愛に馴染まない」と孤独を好む。たった一度の淡い恋に破れ「あたしは化け物なんだろうか」と自問する。壁越しに聴く「愛の音」は、彼女の耳には絡み合うウナギのようにしか思えない。そのくせ行為を繰り返すことによりすり減った心が愛に付け入られる隙を呼ぶのだという至極真っ当な考察で娼婦になることを拒む。どちらも愛から近くにいるようでもあるし、遠くにいるようでもある。結局は誰も愛をはっきりととらえ手にすることはできない。

内容の面白さはもちろん、発想、文章がくまなく美しい。例えば、ジョーダンは自らの異形の母親についてこんな風に夢想する。小瓶に閉じ込められた犬女は、海辺に流れ着き、拾われる。蓋が開くと魔人さながらにむくむくと大きくなり、拾い主の三つののぞみを叶えるや否や、犬女はすべての記憶を失ってしまう。何もかも忘れて、浜辺に、彼女の犬たちとぼんやり座っているのだ。なんて美しくてうら寂しい情景なんだろう。