メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

競売ナンバー49の叫び|トマス・ピンチョン

平穏な生活を送っていた主人公が、ひとつのできごとをきっかけにパラノイア的な世界に巻き込まれる。追うものは同時に追われるものになって、奇怪な現実は自意識の闇。

そんなふうに筋を単純化してみながら、アレ、最初から頭のダイヤルを、リンチとか、カフカとか、公房と近いところに回しておけばもっとすんなり入り込めたのかな、と思った。でも、そうしていたにしろ、着地点は多分全然違う。存在はうつろなものとして、自意識は曖昧なものとして、揺るがされ、揺るがされ、不安になって終わるのがこれらの作家ならば、「競売ナンバー」からは、不安こそが存在そのもの、曖昧さこそが自己、とでもいうような、力強い開き直りも感じられる。ような気がする。

特に好きな場面が3つある。

ひとつめは、俳優ドリブレットが「現実はこの頭の中にあるんだ」と語るところ。
ふたつめは、精神科医ヒレリアスとエディパが対話するところ。
みっつめは、エディパと夫ムーチョが再会し、お別れするところ。
以下はふたつめの場面から引用。

「私が来たのは」と彼女は言ったーー「先生とお話すれば、ある幻想を追っぱらってくれるんじゃないかと思ったからよ」
「それは大事にとっておけ!」とヒレリアスは激しく叫んだ。「それ以外に、だれに何があるんだ? その幻想の小さな触手をしっかり握ることだ。フロイト学派の言うことを聞いてそれを手放したり、薬剤師の薬でそれを追い出したりするな。それがどんな幻想であろうと大事に握っておくんだ。それをなくしたら、その分だけ、きみは他人のほうに行ってしまう。存在しなくなり始めるんだ」

ちょっと混乱しながら読んでいた一周目ですら、この文章は強く心に引っかかった。これから生きていくなかで、もしかしたらこの言葉が命綱になるようなことだってあるんじゃないだろうか、大袈裟でなくそんなふうに思った。