メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

女生徒|太宰治

この文章を読んでくれている中にはお好きな方が多いんじゃないかな、という気がするのだけど、太宰治に「女生徒」という短編がある(以前もこの小説についてエントリーを上げたことがあったが、不出来だったのであとでこっそり消してしまった)。ひとりの女学生の朝起きてから夜眠るまで、つらつらとした独白を書き綴った作品。

太宰の文章を読むといつも、内容以上に「日本語って美しいんだな」ということをひしひしと思い知る。なかでもこの「女生徒」は、言葉の美しさ、リズムの美しさ(わたしはいつも、この小説を開くたび、誰もいない部屋でひとり音読してしまう)、そして、男性である太宰がなぜこんなにも、女学生のみずみずしい感性をすくいとることができたのかということに驚かされる。

「女生徒」のなかに「ロココ料理」という言葉が出てくる。主人公である「私」が、客人をもてなすために作る料理で、冷蔵庫の残り物を一切合切、少しずつ、美しく、大皿にもりつけるのだ。見た目は豪奢で食卓は華やぐけども、「ちっとも、おいしくはない」。そのさまを、見た目だけ絢爛豪華で中身が空っぽのロココ式になぞらえている。はじめてこのくだりを読んだのは多分高校生の頃で、おおいに笑ってしまった。というのもわたしが得意とするのがまさにこの「ロココ料理」だったからだ。

母と姉は料理好きで、研究熱心にいろいろなものを作る。外食をすれば、味を盗むため翌日からしばらく、同じメニューが続く。そんな家族に囲まれながら、わたしは家事の一切を好まなかった。食事の支度を頼まれると、冷蔵庫の残り物や、切っただけの豆腐や、茹でただけの野菜を見た目だけ美しく盛りつけて出した。一人暮らしをはじめて、好き嫌いの多さからどうしても自炊中心にはなるけれど、やはりそんなに料理は好きではない。他人に食べさせるわけではないから、ロココ式にする必要もない今の料理は、外見も中身も質素なものになってしまった。

今日、夕食を作りながらなぜか、そんなことを思い出した。

おやすみなさい。
私は、王子さまのいないシンデレラ姫。
あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?
もう、ふたたびお目にかかりません。

この最後の文章が何より好きで、多分当時は文体模写も試みた。

今は跡形もないけれど。ちなみに自分自身で、文体として一番影響を受けたような気がするのは、堀茂樹さんの訳すアゴタ・クリストフ。これもけっこう真剣に真似しようとした時期があった。結果として似たかどうかはまた別の話です。