メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

『カンガルー・ノート』の少女

帰りの地下鉄でわたしは座って本を読んでいた。降車駅が近づいたことに気づきふと顔を上げると、目の前に立っている女性が腕から下げているバッグが視界に飛び込んできた。

大きくて、薄いベージュの革でできている。表面に、女の子が四人並んでいるイラストが刺繍されている。簡略化された描線で、生命力をみじんも感じさせない女の子のイラストはどれも、お人形のような大きな目に二重まぶたを持ち、睫毛がぱっちり放射状に伸びている。その女の子たちは、よく見ると髪の毛が魚になっていたり、手首から先がたこの脚になっていたりする。かわいらしくてシュールでグロテスクなそのバッグに、しばらくわたしは釘付けになっていた。

目の位置を更に上げると、今度は見覚えのある表紙絵が飛び込んできた。彼女は、「カンガルー・ノート」の文庫本を、カバーも被せず読んでいるのだ。真ん中より少し後ろあたりのページを、夢中になって。「カンガルー・ノート」は、すねから貝割れ大根が生えてきた男が病院に行き、勝手に走り出したストレッチャーに乗せられたまま、冥途を駆け巡る話。安部公房の作品はどれも強い閉塞感を抱えているけれど、「砂の女」の、徐々に圧迫を強めて行く息苦しさよりも、わたしは、「密会」や「カンガルー・ノート」の疾走感を好む。あらゆる意味で閉ざされてゆきながら、出口を求めて彼らは駆け巡る。もしくは、袋小路へと、駆け込んでゆく。あの疾走感が本当に好き。

彼女はこの本にどんな感想を抱くんだろう。気に入るんだろうか。

そんなことを考えながらわたしは持っていた本をしまい込み、次に停車した駅で立ち上がった。つい今までわたしが「燃えるスカートの少女」を読んでいた座席で、彼女はやはり「カンガルー・ノート」を無心に読み続けているようだった。