メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

大好きだった場所を、離れる

重い荷物を抱えて羽田から乗り換え三回。

お風呂に入って、今までより少し広い部屋には今までと同じカーテンが掛かっているし、前使っていたのとまったく同じベッドを購入し、まったく同じリネンを揃えた。寝転がってしまえば、何も変わらないような気がするのに、明日の朝私は、今までよりも一時間遅く起きて、地下鉄に乗って、見知らぬ職場へ出かけてゆくのだ。おかしな気分。きっともうしばらくはわたしは自分の住所を「福岡市中央区」から書きはじめてしまうだろうし、電話を取った瞬間、今日まで所属していた部署の名を名乗ってしまうだろう。そして、あと何度かは寂しくて泣くのかもしれない。

情は薄い方だと思っていた。卒業式で泣いたこともない。はじめて親元を離れたときも、涙は出なかったしホームシックにもならなかったから、そういう性質なのだと思っていた。映画や本や音楽で泣いても、自分のためには泣かないし、他人のためにも泣かないはずだった。このあいだ、自分の写真を見て「いつのまにこんなに笑えるようになったのか」と感じたけれど、今日は「いつのまにこんなに泣けるようになったのか」と。

友人たちと別れるときは、相手が泣きそうになっても、いや、だからこそわたしはこらえることができた。一対一の感情ならばまだまだ大丈夫だった。でも今日は、相手が多すぎるのに、なんかもう、向こうの寂しいをわたしの寂しいが上回って、もしかしたら皆がわたしを好きでいてくれる気持ちを、わたしが皆を好きでいる気持ちが上回って、だめだった。朝から出勤して、普通に仕事をして、夕方まず、別フロアから挨拶をはじめて、笑ったり軽口を叩いたりしていた。でも、隣の係に挨拶しようとした時点でもうだめで、自分の係はなおさらだめで、小さい子どものとき以来はじめてといっていいくらいひどく、しゃくりあげてわたしは泣いた。タクシーの中でも泣いて、飛行機の中でも人目をはばからず涙を流していた。

ばらばらになりたくないから情は移さないと決めていたのに、いつからどうしてこんなになってしまったのか。愛情なんてもう、ひとりに注げばあとはなしくずしなのかもしれない。いっぱい好きになって、笑って泣いたこの数年の方が、そうじゃない頃よりも、ずっと楽しかったような気がする。