メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

八月の光|ウィリアム・フォークナー

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)

アメリカ南部の架空の土地を舞台にした、フォークナーの代表作。いつかはフォークナーにも手を付けなきゃいけないよな、と思っていたので、ようやく。

土や、湿度、日差しに汗、においや肌触りを強く感じる文章。フォークナーの影響が色濃いと言われる南米小説の多くにそういった感覚を受けることは多いし、ヘミングウェイメルヴィルの作品からも、こういう暑苦しさを感じることはある。日本だと、井伏や大江には似た感触があるのかも。土着的な、因習的な、個々人の善悪とは少し違う、宿命的な原罪のようなもの、「都市」でなく「土地」の小説だった。

身重のからだを抱え、腹の子の父親である男を捜して単身長旅をする田舎娘リーナ。自らを「黒人の血を持つ白人だ」と思い込む男クリスマス。このふたりをそれぞれ中心とし、周囲の人間の模様を含めながら、場面時系列ともにばらばらに、話は織り上げられている。当時はどうだったのかわからないけれど、時系列が逆さだったり、パズルのように組合わさっていたりするスタイルは今となってはそう珍しいものでもないので、特に戸惑うこともなく読み終えた。

黒人問題やその歴史を知った上で読むことにも当然意味はあるのだろうけれど、ここで、見た目は白人であるクリスマスの「俺には黒んぼの血が流れてるんだ」という台詞は主に、自らのアイデンティティの不確かさを主張しているように思える。白人の社会からは「黒人の血を引いている」として逃れ、黒人の社会からは「見た目が白人そのものだ」として逃れ、実際自身の血筋がどうであるかということより、ただクリスマスは逃げたいだけだったんじゃないだろうか。

一方、リーナを主軸に据えた話。この「明らかに騙されて捨てられたくせに、純粋無垢に相手の男を信じて旅を続ける娘」というキャラクターがとにかく苦手で、リーナのことを好きになれずにずっと読み進めていた(やたら読了までに時間がかかったのはほとんどがこのヒロインへの嫌悪感のせいだったかもしれない)。でも、最後、本当に最後で裏切られた。最後の2ページで、ある男がリーナについて語った台詞。ここで一気に、重苦しい陰鬱なストーリーからすべての暗さが取り払われる。上には青い空が、前には澄み切った風景が一気に開け、結局わたしはリーナというヒロインにやられたなあと思い、彼女のことを好きになってこの本を読み終えたのだった。