メトロガール

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終わりの街の終わり|ケヴィン・ブロックマイヤー

終わりの街の終わり

終わりの街の終わり

それなりに楽しく読んだんだけど、感想は「もったいないなあ」といったところ。「面白くなりそう、面白くなりそう」と、わくわくしながらページをめくり、結局決定的には面白くならないまま終わってしまった。解説者はその淡々とした書き振りを現代的だと評価していたけれど、実際この小説に対して向けられる批判的な評価の多くは「キャラクターの弱さ」を問題点として挙げているようで、わたしもそう思う。

冒頭に、アフリカ原住民族の伝承が引用される。人は死ぬと一時的に、生と死の中間地点のような場所へゆく、というもの。生きている人間誰か一人にでも記憶されている限り、死者はそこへとどまり続ける。そして、生きている人間の記憶から消えると、本当の死へ向かう。この伝承をもとに小説は組み立てられており、わたしたちが暮らすのと同じ現実の(生者の)世界と、生者に記憶されているあいだだけとどまることのできる(死者の)街のふたつが交互に舞台として現れる。重要なのは、生者の世界がいまや滅びようとしていることだ。未知の致死性ウイルスが爆発的に伝染し、世界中の人間があっという間に死んで行った。生き残っているのは、調査隊の一員として南極に派遣されていた女性、ローラただひとり。要するにこの小説には「ローラ一人が生き残った、(現実)世界の終わり」と、「ローラによって記憶されているがためにそこに存在することのできる(死者たちの)世界の終わり」が描かれている。ローラが死ねば、どちらの世界も終わる。

舞台設定としてはこの上なく好みなのに、残念ながら、この設定が十分に生かされていなかった。最後の一人の人類であるローラは、生き延びるため極寒の地で過酷な旅に出るが、彼女の必死さはいまいち伝わってこない。死者たちの街に現れる人々からも、彼らが二度目の死を迎えつつあることについて、切実な何かは伝わってこない。設定された状況は面白いのに、そこでの人々の動きがあまりにも淡々としていて、登場人物同士のつながりも希薄。

要するに「なぜ、このふたつの世界の終わりを設定したのか」「なぜ生き残ったのがローラなのか」「なぜ記憶されているのが彼らなのか」という必然性が一切感じられず、それぞれの舞台や人物がつながらない、ばらばらなまま話が終始してしまっているように見えるのだ。終盤、盲目の男(死者)が、自分の人生を幼少時代から振り返るエピソードがあるが、ここは、登場人物が肉体を持ったいい場面だった。ローラとかつての恋人のエピソードや、ローラの両親が互いに抱えつづける複雑な感情など、もう少し踏み込んでいればずっとずっとよくなったんだろうなという部分がたくさんあっただけに、やっぱりちょっと、残念な気持ち。