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修道院回想録|ジョゼ・サラマーゴ

修道院回想録―バルタザルとブリムンダ

修道院回想録―バルタザルとブリムンダ

  • 作者: ジョゼーサラマーゴ,Jos´e Saramago,谷口伊兵衛,ジョバンニピアッザ
  • 出版社/メーカー: 而立書房
  • 発売日: 1998/12
  • メディア: 単行本
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舞台は18世紀ポルトガル。子宝に恵まれない王のもとに、一人の修道士が現れ、自分たちの修道院建立へ援助してくれれば、すぐに王妃は懐妊するだろうと告げる。ジョアン五世の治世、巨大な修道院の建築を背景に繰り広げられるのは、幻想的な物語だ。「白の闇」(こちらのほうが書かれたのは後なのだけれど)が、「もし、ここにいるひと全員が視力を失ってしまったら?」というひとつのifを投げ込んだ、基本的にはリアリズムの小説だったことと比べると、ちょっと毛色の違う、非現実的な要素の強い、美しい小説だ。

戦争で左手を失った「七太陽」という渾名を持つ男バルタザル。空腹時にはものやひとの内部を見透かしてしまう少女ブリムンダ。「大鳥(バッサローラ)」と名付けた機械による飛行を試みる、バルトメロウ・ローレンソ神父。バッサローラを飛翔させるには、エーテルの力が必要になるのだが、ローレンソ神父が見つけたエーテルの正体は「人間の意欲」。たくさんのひとの意欲を掴まえ、瓶に封入し、その力で飛翔を試みるというのはなんともロマンティックだし、なんとも残酷であるように思える。ここでは「飛行」というのがイコール「神に近づくこと」だと理解される。なので、飛行実験により、ローレンソ神父は異端の疑いをかけられる。

全体的に「神」の存在に投げかけられるのは辛辣な目線だ。ローレンソ神父の「神は左手を持たない」という主張に、ブリムンダの見た神の内側にあるもの。ところどころに挟まれるほかの修道士や神父のエピソードも、うさんくさくて生臭いものばかり。そういえば、サラマーゴは無神論者らしい。

最終的にこれは多分ブリムンダの物語なのかな。彼女の透視能力が、物語を引っ張り、バルタザルはよく動きはするけれど、彼には意志はあまり感じられない。ほとんどは、他人に言われた通りに動く。だから個人的にはあまりこの七太陽に魅力は感じなかった。ブリムンダはバルタザルに「あんたの中を決して覗いたりはしない」と約束をするので、ブリムンダが必要に迫られ透視をおこなうときは、決してバルタザルは彼女の前には立たない。歩く彼女の後ろに付き従うだけだ。この情景は、とても美しい。

「神は左手を持たない」「飛行することは神に近づくこと」「神の内部には黒雲が見える」そういった暗示が組み合わさって、最終的に「神」に何が起きて「人」がそれをどうしたのか。ブリムンダの能力はとても宗教的な、神がかったものに見える場面もあるけれど、最終的には「人間の能力」で、それがラストシーンを力強く、美しいものにする。ブリムンダはまさしく豊穣の女性だった。