メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ヨーロッパ退屈日記|伊丹十三

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ジンバックの「バック」が、「back」ではなく「buck」なのだと教えてくれたのは、以前一緒に仕事をしていたことのある上司だった。わたしの父ともそう変わらないくらいの年齢で、酔っ払った彼が他の人に向かって「あの子(わたし)は、うちの娘と似てるんだよ、目が」と話しているのを聞いたことがある。

そのときは、東京への異動を控えたわたしと同僚を、奥さんとときどき訪れるのだというバーに連れて行ってくれた。藤子不二雄Aさんの「笑うせえるすまん」というマンガに「魔の巣」というバーが出てくるが、ちょうどあんな感じで、異なる点といえば、白髪のマスターが笑い、ときおり喋ることだった。カウンターの内側には見慣れない酒瓶がずらりと並び、わたしと同僚はそれを指差しては、あのボトルのデザインがいいだとか、ラベルが素敵だとか、好き放題言っていた。すると、ジンバックを飲んでいた上司が言い出したのだ。

ジンバックのバックには、僧侶っていう意味があって、ジンの銘柄で坊さんが描かれたラベルのものがあったのが由来なんだってさ。伊丹十三が書いてた。本当かわかんないけどな。マスター、知ってる?」

マスターは首を左右に振った。そして、そこにあった英英辞典を繰ったが、そこにも「buck」の欄に僧侶を現す単語は載っていなかった。上司はその後、毎週土曜日には学校をさぼって映画館にばかり通っていた少年時代の話をした。それから、高校生の頃読んだ伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」にどれほどの衝撃を受けたかを語った。

酔っ払っていたので、そんなことをほとんど忘れて数ヶ月、書店でこの本の背表紙を見た瞬間に記憶が蘇った。手に取った。

この本が書かれた60年代、まだほとんどの日本人にとって欧米というのは遥か遠いものだったに違いない。また映画にとっては、古き良き旧年代的なありかたが、まだかろうじて有効だった時代なのだろう。「映画俳優」と呼ばれるひとたちが生き残っていた頃。日本映画でいうならば、まだ黒澤明三船敏郎がいた。そんな時代に、この本を読んだ高校生がどれほどの衝撃を受けたかは計り知れない。強いヨーロッパへの憧れや劣等感が感じられ、本人曰くの「貧乏を経験しているから、貧乏が嫌いだ」という言葉を裏付けるかのように、伊丹氏の言動行動はずいぶんスノッブ臭の強いものだ。そして、伝統を捨て半端に欧米ナイズされゆく統一感のない日本の光景や、人間を卑下する。また、アメリカという国、アメリカ人への偏見を書き記すこともはばからない。アメリカンイングリッシュの発音なんて、とことんこきおろしている(でもイギリスの田舎だって訛りすごいよなあと思いながら読んでいたら、労働階級もけちょんけちょんにしていたので笑ってしまった)。ここに書かれているヨーロッパ文化、風俗のさまざまは、2008年の視点に立つならば珍しくもなんともないもので、読み方によっては「ただの口うるさい欧州コンプレックスの皮肉屋」とも受け止められかねない。しかし当時の若者にとってこの本はそれこそ宇宙旅行記を読むようなものだったかもしれないし、こういう本に憧れて、様々な文化に触れ、粋な大人を目指そうとしたのかもしれない。文章にはキレがあり、挿入される小咄なんかもなかなかいい。面白かった。

ちなみに「Jin Buck」について、「buck」に僧侶という意味がある、という本書記述の根拠は、わたしも数冊の辞書を引いてみたものの、見つけることはできなかった。「buck」には雄鹿という意味があり、その力強さと、ジンバックのキックのある味をかけているのが由来としては有力なものであるらしい。ちなみにこちらの「buck」についても伊丹氏は書中で触れていて、「バックスキンを『裏地』という意味で使う輩がいるが、けしからん」と書いている。buck skin=鹿革なのに、back skin=裏地?という意味合いで使ってしまうと、「この牛革のバックスキンがさあ」というような、牛だか鹿だかわからないことになってしまう、というのだ。勉強になります。