メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ピンチランナー調書|大江健三郎

ピンチランナー調書 (新潮文庫)

ピンチランナー調書 (新潮文庫)

大江健三郎ノーベル賞を獲ったときに、姉が買ってきた「ヒロシマノート」をぱらぱらめくってみたもののまったく理解できなかった。ずいぶん後に「芽むしり仔撃ち」を読んで、こんな面白いものを書く人だったのかと驚き、夢中になった。初期作品のひりひりとした凶暴さに惹かれたのは、ちょうどそれらの作品を大江氏が書いたのと同じくらいの年齢のときに読んだからというのもあるのかもしれない。ここしばらくの作品になると、また枯れた感じで、それはそれで嫌いではない。わたしにとって大江氏の小説の中で一番理解するのが難しいのが、彼の小説家としてのキャリアの中で一番評価されていた時代の作品群で、そのいくつかは読まないままになっている。

読んでいて、こういうかたちの小説は、今ではもう、文学として成立させることが難しくなっているように思えた。政治性や社会性を直接的に書いた小説は現在も存在してはいるけれど、それはむしろ社会派の娯楽小説にカテゴライズされることがほとんどだ。昨今の「蟹工船ブーム」とやらは、自然発生するはずもない、どこかの政治団体だか思想団体だかが仕掛けたものに違いないのだけども、格差社会に声を上げるにも、もはや新たに力を持つ小説は現れず、未だに小林多喜二に頼ってしまうのだ。現在文学で世界や社会を語るにおいては幻視的な書きぶりが主流となっていて、それは対立軸や構造が、はるかに複雑なものとなり、仮想敵があまりにも漠然と強大なものになっているからなのかもしれない。
わたしが恐れ、闘うのはもはや共産勢力でも原爆でもなく「やみくろ」なのだ。