メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

本は丸裸

ところで皆さんは、どんな場所、シチュエーションで本を読んでいますか?

わたしについて話すならば、ほとんどが通勤中の電車の中やホームで、あとは職場のお昼休み。待ち合わせなど時間つぶしの喫茶店で読むこともあるけれど、家で本を読むことはあまりない。それでも一日につき1〜1.5時間の読書時間はとれるので、分量にもよるけれど、週に2冊くらいはコンスタントに読んでいる。お勤めの方は割とこういうスタイルが多いんじゃないだろうか。

電車の中で本を読んでいる他人は、ちょっと気になる。けれど、なかなか何を読んでいるのかまではわからない。ざっとみたところ、電車内で本を読んでいる人の場合、その本の状態は「書店の紙カバーつき(5割)>そのまま(3.5割)>布や皮革のブックカバー(1.5割)」といった割合であるように思う(そのまま、というのは書店で書架に並んでいるような状態のこと)。割と、表紙が見えないように隠している人が多い。これは別に後ろめたい本や恥ずかしい本をよんでいるわけではなく、いや、そういう人も中にはいるのかもしれないけども、大抵はなんとなく自分の読んでいるものを人に気取られるのは照れくさいという程度のものなのだろう。ただの自意識過剰なんだけど、わたしなんかも小市民なので、自分の趣味嗜好だだ漏れで歩くのはなんだか恥ずかしい。

ちなみに、以前書いたようにわたしは「カバーもブックレットも外して、丸裸にしてから本を読む」。これは電車の中だろうと喫茶店の中だろうと変わらない。紙ががさがさ手の中で動く感じがとても苦手で、あれがあると、集中して本を読むことができないというのが第一の理由だ。ついでに、カバーを外してしまえば、本というのは案外シンプルにできていて、目隠しのカバーをかけるのに遜色ないくらい、タイトルが目立たなくなる。自意識過剰のわたしでも、公衆の面前で堂々と読書できるくらいに。

例えば最近読み終えた単行本から、マッカーシーの「ザ・ロード」のカバーつきの状態とカバーを外した状態。

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文庫本だとまた、無個性度が高い。

こんな感じで快適に、読みたい本を電車内で自由闊達に読んでいた昨今、わたしを試すかのような強敵が現れた。昨日の朝、出勤前に、読もうと思っていた町田康宿屋めぐり」を手に取る。かなり分厚いが、池澤選集「巨匠とマルガリータ」すら持ち歩いていたので、これくらいは許容範囲である。さっとカバーを外し、動きが止まった。

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カバーを外すとまさしく丸裸。さすがにこれを電車で読むのはちょっとどうかな……。敗北感にうちひしがれながら「宿屋めぐり」をテーブルに戻し、隣にあった「デッドアイ・ディック」のカバーを剥いてカバンに放り込んだ。そして家を出た。