メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

デッドアイ・ディック|カート・ヴォネガット

ヴォネガットが、2004年の大統領選前に発表したコラムは現代社会の行き詰まりについて言及し、「さて、ダンスパーティーはもうお終い。でも、お楽しみはこれからなのだ。」と締めくくられている。前の文脈と併せて読むと、この「お楽しみ」は希望どころか、最大級の皮肉である。

「デッドアイ・ディック」のラストセンテンスから、わたしはなんとなくその一節を思い出した。なんだか、これらふたつの文章は同じことを意味しているように思えたのだ。なんにせよ、ここにあるのは、果てしない人間と、世界に対する諦観、怒り、そして愛情。これでようやく5冊目かな、今まで読んだ中で一番世界の抱える問題を直接的に取り扱った小説だった。そして、すべての登場人物について人間性や感情の機微をくまなく描き出すことに最も成功している印象を受けた。

ところで、わたしは、そもそも訳書を読めば満足する人間だ。世の中には「原書で読まなければ意味がない」と翻訳小説を読むことに懐疑的な人々もいるようで、確かに彼らの言い分には一理ある。というか、返す言葉もない。しかし、翻訳のフィルターを通したところで失われないなにかはあるわけで、それにすら触れないよりは、微かな何かを手のひらに受けることをわたしは選ぶ。また、英語がそう堪能でなく、人文学的素養のないわたしにとっては、拙い英語力で原文をたどるよりは、それなりの語学力と知識を持った翻訳者に頼った方が、よっぽど適切な理解ができるに決まっている。……というのが基本スタンスなのだけど、ヴォネガットを読み重ねるごとに、その軽妙な文体を原文で味わってみたくなる。伊藤氏と浅倉氏の訳は、精一杯原文のリズムを生かした素晴らしいものであり、わたしの錆び付いた英語では及びもつかないに違いない。それでも、原文のリズムとライムと言葉遊びを体感してみたいという気持ちは一冊読むごとに強まっている。

あまり長いものだと疲れてしまうから、短編集あたりから挑戦してみようかと本気で考えているところ。