メトロガール

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宿屋めぐり|町田康

宿屋めぐり

宿屋めぐり

あまりに壮大な物語ゆえ難しくいろいろなことを考え、まとめることはできそうにないので、一番強く感じたことだけでも気持ちが新鮮なうちに。「パンク侍」「告白」を含め結末に軽く言及しているので、一応畳んでおきます。
評価の固まったものだけ読んでやろうというあざとい性質なので、あまり新刊に手を出すことがないのですが、リアルタイムでこういう小説を読めるというのは凄く幸運で幸せなことだなと思いました。


パンク侍、斬られて候」では、「今我々の存在する世界は、巨大な条虫の腹の中であり、そこから排泄され真正の世界に脱出することことが心願」という教義をもつ「腹ふり党」なる新興宗教が、作品内で大きな役割を占めていた。今回の「宿屋めぐり」でも、主人公の鋤名彦名は、主に命じられて大太刀を奉納に向かう旅中、白い条虫のようなくにゅくにゅの皮に飲み込まれ、偽物の世界を彷徨うことを余儀なくされる。

偽の世界と正しい世界。

「告白」の熊太郎が苦しむのは、自らの思考と言葉が乖離している故の、世界や他人に対する違和感。そして、「宿屋めぐり」の主人公は、場面場面において自覚のないまま自分にとって都合のいいでまかせをぺらぺらと喋り、やはり無意識に、その場面場面によってまったく異なる言葉遣いをする。

魂=肉体=言葉=世界、これらの繋がりと断絶について繰り返し繰り返し語られている印象を受ける。
宿屋めぐり」というのはタイトルどおり、巡礼の話である。偽の世界で鋤名は、当初は太刀奉納のため、トラブルに巻き込まれてからは逃げるために宿場を点々とし、そこでまた新たなトラブルに遭遇する。そして、変顔能力を得るあたりから話はさらに混沌とし、ルンに「口調がおかしい」と指摘される場面、さらには飴売りのおばはんと衝突するに至って、この小説が肉体のピルグリムでなく、魂のピルグリムを主題としていたのだと知る。「正しい世界(正しい自己)」「偽の世界(偽りの自己)」、というのはただの自意識の問題に過ぎない。

町田の小説の主人公に共通するのは「屁理屈」「言い訳」。彼らは皆「俺は駄目な奴だ」と自虐しながらも最終的には強い自己愛を持ち、屁理屈を捏ね、言い訳をしては楽に流れる。「パンク侍」の掛十之進は最後まで言い訳をし、ろんは青空の下旅立つがそこはやはり嘘の世界だった。「告白」の城戸熊太郎は、最後に自らの人生を振り返り、「あかんかった」と滂沱の涙を流した。そして「宿屋めぐり」の鋤名彦名は、屁理屈と言い訳の果てに、それでも自分が好きだ、自分という人間に執着しているのだ、赦されたい救われたい生きたい、と命汚く這いつくばった。もしかしたら鋤名の「宿屋めぐり」は終わるのではないか、という希望を感じさせるラスト。同じような主題で、小説のたどり着く場所は少しずつ、前に進んでいるような気がする。

町田氏の書く一環した女性像というのも興味深くはあるのだけど、まとまらないのでそれはまたいつか。