メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

子どものあこがれ

法事のときに、親戚の子どもがわたしに向かって言った。

「僕、宝くじ買ったんだけど、外れた」

「宝くじ?」幼いくせに妙なものを欲しがるものだと訊き返すと、近くにいたおばさんが笑った。「お姉ちゃんに、宝くじ当てて何が欲しいのか教えてあげたら」。彼はもじもじとはにかんで、中価格帯のワンボックスカーの名を挙げた。子ども3人に、おばあちゃんがいる家庭では、今乗っている車が手狭となっていて、父親が一回り大きなミニバンを欲しがっているのだと言う。幼い彼にとっては「パパの欲しいもの」が価値観のすべてなので、世界で一番素晴らしい自動車は大きいミニバンなのだ。ハイエンドのエルグラントを持っていて、乗せてくれたことのある叔父はスーパースターであるらしい。エルグラントの隣に停まっている新車のBMWなど、彼にとってまったく価値はない。

逆に親子の価値観が一致しないケースもある。

わたしの母親は料理が好きで、子どものころから手製のパンやお菓子が食卓に並ぶことが多かった。今思えば確かに少し妙なのだけど、母手製のロールケーキには決まってクリームの代わりにジャムが巻き込まれていた。理由は簡単で、母があまり生クリームやホイップクリームが好きでなかったからなのだが、姉はずっと「うちは貧乏で、クリームが買えないから、ジャムのケーキしか出てこないんだ」と思い込んでいたのだという。要するに姉はジャムよりクリームを好んでいたので、自分の中で劣る味のものが出てくる=貧乏だから、だと思い込んだのである。ちなみにうちは、別に裕福でもなければ貧しくもない、ごく普通の中流家庭だった。

子どもなりの気遣いで、姉は両親に「クリームのケーキが食べたい」とは言えない。なぜならすべては貧乏のせいだと思っているから。ジャムのケーキを食べるたび、姉は家の貧しさを噛み締め、自分はちゃんとクリームのケーキを食べられるような大人になろう、と考えたのかどうかは知らないが、超がつくほど堅実で安定志向の人間に育った。すでに老後のプランまでばっちりである。一方何ら疑問を抱くことなくジャムのロールケーキを食べて育ったわたしは、万事においてどんぶり勘定で、お金の計算というものがまったくできない大人になってしまった。

ちなみに、姉は大人になってあることに気づき、激しいショックを受けたのだという。「ロールケーキ一面に塗ること考えると、ジャムの方がクリームより高く付くんだよね」