メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

柴田先生のトークイベントに行ってきました

ただのサイン会含めこういったイベントにはまったく参加したことがなかったし、そもそも通常平日のこの時間に書店に行くことなど無理に決まっているのだけども、偶然の休暇。どんなもんかな、と足を運んでみた。

ハヤカワepiプラネットというマイノリティ文学をテーマにしたレーベルがあり、そこから柴田先生の訳でベトナム系アメリカ人作家リン・ディンの「血液と石鹸」という短編集が発売された、その記念イベントだった。発売まもないということで、わたしが「血液と石鹸」を店頭で見かけたのは今日がはじめて。慌てて購入したものの一切目を通さないうちにイベントがはじまった。客席には、どちらかといえば学生や研究生のような、アメリカ文学や翻訳等についてある程度の知識を持ち、学術的に関わっている人が多いような印象を受けた。内容は、リン・ディンという作家の経歴について解説、短編集のなかから数本の朗読、柴田先生にリン・ディンを勧めた米作家マシュー・シャープとリン・ディンの対談朗読(対談原稿を手に、柴田先生がリン・ディンの役、ハヤカワの編集さんがマシュー・シャープの役をする、というスタイル)、リン・ディンが自らの詩を朗読している動画上映、質疑応答、サイン会……といったもの。

本の内容やリン・ディンという作家についてはまた後日読書感想文で挙げるとして、今回のイベント、「朗読」で小説に触れるというのは非常に新鮮な経験だった。しかも自分が既に内容を知っている作品ではなく、まったく知らない小説を耳から入れる、というのだから、最初は少し混乱した。目から読む場合は、引っかかるところがあれば前の行に視線を戻して確認してから先に進むことができるのだけども、朗読の場合は耳から入るだけの一発勝負。あえて手元に書籍を開かず、音声だけに集中してみる。

質疑応答では割と積極的に手が上がっていたけども、「作家の政治的姿勢」「訳し方について」など、学術的な質問が多く、わたしなどはただ感心するばかり。その中で唯一、「どうやったらペーパーバックを読めるようになりますか?」という質問にだけは、少しだけ親近感を持った。ちなみに柴田先生はその質問に「孤島に行く」と即答した。それから若島先生の名を挙げて、若島先生はなかなかナボコフを読破できずにいたときに、徳島の飲み屋もない田舎に宿泊する機会があり、あまりにやることがないので気合いを入れて一夜で読んで、それでナボコフに夢中になったのだという逸話を披露してくれた。
あと、印象に残っているのは、ユアグローが「オバマが負けたらアメリカを出て行く」と言っていたという話。前述「どうやったらペーパーバックを読めるようになるんですか」と質問をしていた男性が、サインをもらいながら「フィッツジェラルドを読んでいるんだけど、単語はわかっても、流れとしてなんとなく理解できていないような気がする」と言っていたこと。それに対して柴田先生は「フィッツジェラルドの英語はネイティブだって、わかるようなわからないような文章だ。日本でいうなら漱石あたりも、流れとしてすっと読んでしまう、読めてしまうけど厳密に考えると何言ってるんだかわかんないような部分がある、あんな感じ」と返していた。

翻訳というものについてわたしは全然知識がないのだけども、ただ直訳すればいいというものでもない、訳したものが文学として成立するようでなければならないという意味で、小説の翻訳はとてもむずかしいことなのだろうと、漠然と理解している。例えば今日の話だと「Murder or Suiside」という短篇をなぜ「自殺か他殺か」とひっくり返して訳したのかという質問があったが、それに対する回答は、「小説内でそのフレーズは、タブロイド紙の見出しとして出てくる。英語で見出し文として考えたときに自然なのは《Murder or suiside》、しかし日本語で見出しをつけるとすれば《自殺か他殺か》という順の方が自然である」といったものだった。昨今の新訳ブームと同時に「あれは誤訳だ、超訳だ」とあげつらう向きもあるようだけども、その一部はこういった《訳者が頭を悩ませ気を利かせた部分》についての見解の相違だったりするのかなあなどと思ったり。

ちなみにサイン会は、わたしにとってはかなり苦しい場面だった。もともとそういう場で、作者本人に何か話しかけるということが苦手なのでサイン会の類いに参加しないままこの歳になったのだ。せいぜい本を差し出して、受け取って、「ありがとうございます」が関の山だと思っていたのだけども、前に並んでいる人たちを見ていると、皆何やら先生に話しかけている。まずいなあ、どうしよう、どうしようと思いながら人の会話に耳を澄ますと、「翻訳について」「柴田ゼミについて」など、皆先ほどの質疑応答のようなレベルで話を振っている様子。ああもう、英語もできないしアメリカ文学なんて専門的にわかんないし……とへこんでいるうちに自分の番が来た。名前を訊かれてから、せめて何かひと言でも喋らなきゃ、と思い、結局翻訳ともアメリカ文学とも一切関係なしに「朗読って、目で読むのと全然印象が違って面白かったです」とだけ絞り出した。「読書って、自分のペースで読む、ファシズム的な行為だから、たまにこんなふうに、他人のペースで、崩されると面白いでしょ」という返答を頂き「読書がファシズム行為」というところになんだか納得してしまった。

全体として、難しい内容もあったけれど、そういう部分含め本を読むということ、態度についてもなんとなく背筋を正すような気分にもなり、楽しいイベントだった。またこういう機会があったら、参加してみたいな。ああなんかとりとめもなくなっちゃったけどこの辺で。