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ノリーのおわらない物語|ニコルソン・ベイカー

ノリーのおわらない物語 (白水uブックス)

ノリーのおわらない物語 (白水uブックス)

英国に引っ越して来たアメリカ人の少女ノリーが、学校や家庭で遭遇する出来事や、想像した物語について、解説の言葉を借りるならば「子どもの頭の中身」の小説だ。

起こる出来事としてはどうってことない。弟と遊んだり、アメリカの友人を懐かしんだり、家族で聖堂を観に行ったり、級友と喧嘩したり、いじめ問題に頭を悩ませたり、ごく普通の子どもの日常である。それを「どうってことなくない」ものにしているのは、これが作者のニコルソン・ベイカーが実際に英国に1年間だけ移住した際、毎日娘アリスの言動をつぶさに書き留めることにより作られた、本当に生きている、大人になったらもう思い出すことも想像することもできない、感性や言語感覚により綴られているという点なのだと思う。

ノリーは、アメリカで育っているので、喋る英語はアメリカン・イングリッシュである。同じ英語であっても、英国で使われるものとはずいぶん異なる部分があり、その差異を面白がりもすれば、言葉の違いのせいでからかわれたりもする。しかし、それ以上に面白いのは、ノリーが9歳で、しかもスペリングを非常に苦手とする少女だということだ。この小説は三人称でありながら、ノリーの語りという体裁で書かれているので、本文中にも、またところどころに挿入される「ノリーの作った物語」「ノリーの書いた手紙」のなかにも、子どもらしい勘違いに言い間違い、スペリングミスが山ほど出てくる。

しかし九歳ともなると、ただ可愛らしいだけの舌足らずな言いまちがえとは異なり、まちがえ方のパターンもけっこう芸が細かい。難しい慣用句を使おうとして惜しいところで違っているとか、複数の言葉や言い回しを合体させるとか、どこかで聞き覚えた言い回しをミスマッチな文脈にはめこんでしまうとか
(訳者による解説より)

これらの芸の細かい間違い(しかも英語の!)をひとつひとつ日本語に置き換える作業は大変なものだったと想像する。例えば、無造作に開いたページで目につく箇所を拾ってみると、

こういう古いお城みたいな家では、じゃり道は重要なポイントで、じゃり道をパリパリふんで家の中に入って、ほんものの床やじゅうたんの上を歩くと、すごくリッチでまことしやかな気分になる。

イクワース館の子供むけガイドブックにくらべるとウィンポールのはいま十ぐらいだったけれど

キラはものすごく負けぎらいで、たとえばガイドブックに「召使いをおびきよせるのに使う、これこれこういう小さい呼びりんのヒモがどこにあるか、さがしてみよう!」と書いてあると、キラはすごいいきおいで部屋じゅうを血ナマコでさがしまわって、ノリーより先にそれを見つけようとした

たったの1ページでこれだけある。明らかな間違いだけだなく「召使いをおびきよせる」という表現の尋常じゃなさ。万事、この調子で頭の中を語り尽くすので、面白くてしかたがない。

しかし、描かれるのは子ども独自の世界であるものの、ノリーの感じる矛盾や葛藤は実際のところ、大人になったところでなにひとつ解決しないし変わらず矛盾や葛藤でありつづける。外に出さないこと、うまく表現することを覚えるだけで、大人と子どもなんて根源的にはそう変わりはないのかもしれない。
ちなみにノリーはこんなことを書いている。

自分が読んだ本のことを人に説明しようとすると、すごくつまらない本の説明みたいになっちゃうことが多くて、本の説明ってむつかしいなあと思う。その本がおもしろいっていう証こはどこにもないから、けっきょくその人にも本を読んでもらうしかなくて、でも本を読んでみようっていう気にさせるためには、まずその本がおもしろそうと思ってもらわないとだめで、そのためにはちょこっとでも本を読んでもらわないといけない。

身につまされます。