メトロガール

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血液と石鹸|リン・ディン

血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)

血液と石鹸 (ハヤカワepiブック・プラネット)

先日(9/25)、発売イベントについてエントリーをあげたこの「血液と石鹸」、珍しく未読の本が溜まっていたおかげで遅くなってしまったけれど、ようやく読了。短いものだとほんの数行、長いものでもほんの数分あれば読んでしまえる短編集で、帯には「《真面目さの足りない神》の視点を持つベトナム系作家の可笑しくて、ブラックな短編集。」と書いてある。小難しくひねったりしていない、ストレートなブラックユーモアが多いので、読みながら何度も頬が緩んで、吹き出しそうになってしまった。ソフトカバーなので翻訳物の割に安いし、お勧めの作品集です。

作者のリン・ディンはベトナム生まれで、ローティーンでアメリカに移り住む。その後数年間ベトナムに戻って生活したこともあるようで「ベトナム人としてアメリカに入ってゆく」「アメリカ人としてベトナムに入ってゆく」、両方の体験をしている(その後、ベトナム人の妻をアメリカに招いたことで「再び、ベトナム人としてアメリカに入ってゆく」気持ちを味わうことになったらしい)。だからこそ、移民作家にありがちな「アメリカへの皮肉、批判」が鋭いのかと思いきや、それは確かに辛辣なんだけども、同じ鋭さでベトナムにも切りかかってゆく。ブラックユーモアで、自らの属する二つの国をこてんぱんにやってしまう小説群は、鮮やかで爽快で、ちょっと哀しい。

敗戦とは呼ばないにしろ、国がぼろぼろになってしまったベトナム戦争を経て、ベトナムという小国の人々が大国アメリカに抱える感情自体、複雑なものだろう。この小説群を読む限りは、二次大戦後の日本人が米国に抱いたのと同様、恐怖や嫌悪を上回る憧憬があるのではないかと思うが、それは「アメリカ」という明確な対象というよりは「外国=外部の世界」への憧れであるのかもしれない。

外国語の習得、という移民である作者にとって非常に重要であったであろうことが、多くの作品でテーマとされている。「辞書」では、囚人が牢獄のなか見つけた1冊の辞書をひたすら読むことで、見知らぬ言語を習得したつもりになる。「!」では、アメリカ人捕虜の寝言を書き付けたメモだけをたよりに、ひとりの男がインチキな英語を作り上げ《偽英語教師》となる。「食物の召喚」では、外国語のレシピ本に夢中になっている女が描かれるが、彼女はそれらの本の「言葉」を味わうだけで、実際の料理を食べたことはないし、むしろそれを望んでいないようでもある。

言葉というのは他者と認識をすり寄せるための記号で、ある言語を学ぶということは、その世界にある物事をラベリングするということだ。未知の言語というのはそれを解さないうちは意味不明で、ただ「未知の世界」を漠然と表すもので、そこにはどんな理想や希望を託すこともできる。しかし、ひとたびそれを身につけてしまえば、それらの記号は結局、どうってことない、今知っているものとたいして変わらない世界を表すものなのだとわかってしまう。だから、彼らは現実を求めずに、偽の英語を学びつづけるし、未知の食べ物の語感だけを味わおうとする。