メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ミツバチのささやき|ヴィクトール・エリセ

日比谷のシャンテシネが、開館21周年記念で、旧作の特別上映をおこなっている。一度大画面で観たかった名作が目白押しなのだけど、いかんせん上映回数も少ないし、時間も限られている。悩みに悩んで、今日一日だけ、残業もかなぐり捨てて職場を後にした。先日「パンズ・ラビリンス」という、やはりスペイン内戦を題材にした映画を観たときに、この作品のことを思い出したんだった。

ヴィクトール・エリセの「ミツバチのささやき」。フランコ政権下の不穏で重苦しい空気は、この映画の舞台であるのどかな田舎町にまでも押し寄せている。そんな中、イサベルとアナの姉妹はそれぞれ子どもらしい無垢と残酷とで「死」に手を伸ばし、触れる。

この作品は良くも悪くも「アナ・トレント」で語り尽くされることが多い。確かに、それを否定することができないくらいに、やはりこれはアナありきの映画で、わたしにとっても、今まで観た映画に出てくる子どものなかで最も印象に残っているのは多分アナだ。黒く短い髪に大きな黒目がちな瞳と、愛想がいいとは決していえない頑な、深く思案しているかのような表情。整った顔立ちは、一見少女とも少年とも判別しかねる。しかし、こんなにも強く彼女に惹き付けられるのは、アナが子どもらしい純粋さを持っているからでも、子どもらしいいじらしさを持っているからでもない。そういった、大人が子どもを評するときの常套句で済ますことができないような魅力、アナは「神秘的」な子どもなんだと、今回改めて思った。

アナは「なぜフランケンシュタインがメアリーを殺したのか」「なぜフランケンシュタインが殺されたのか」が理解できない。きっと「なぜ毒キノコが踏みつぶされるのか」も理解できず、死のイメージに無意識に惹かれる。そして、「精霊」を信じ、現実と幻想の区別の希薄な世界に踏み込んでゆく。たいして歳の離れていない姉妹でありながら、イサベルとアナの「死」への惹かれ方はまったく別方向を向いているように見える。「生きていない」状態を「死」と呼ぶとするならば、生まれる前も「死」であって、幼いアナはまだ自分の居場所、出所としての「死」を見つめている。年長のイサベルは、儀礼としての死を通して、大人になってゆく自分の「生」を見つめている。また、アナや妻テレサへの対立軸のような描かれ方をしていた父親について、本当は世界の哀しみを知っている人で、だからこそそれが伝わらないことを少し寂しく思ったのだけども、ラスト近くの、テレサが居眠りをする彼の肩に毛布をかけるシーンで、なんとなく救われた気がした。

この映画を観ているわたしは、大人の立場でアナを見つめるのでもなく、アナの視線で世界を見つめるわけでもない。こういう言い方はおかしいかもしれないけども、90分の間、ずっと「アナの瞳」を見ていたような気がする。アナの真っ黒い真っ直ぐな瞳を見つめて、その瞳に写り込む世界を、さかさまに眺めているような。他の映画では決して味わうことのない、そんな不思議な感覚。

フランケンシュタインを知ってる?」
「知ってるけど、まだ紹介してもらっていないの」

エリセ監督とアナの出会いは学校の砂場で、こんな会話だったのだという。

ミツバチのささやき [DVD]

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