メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

チャイルド44|トム・ロブ・スミス

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

ベルリンの壁が崩壊したのはわたしが十歳の頃だった。子ども心に、「国と国が(しかももとはひとつの同じ国)物理的な壁で仕切られていた」というのは、視覚的には理解しやすく、感覚的には理解しがたいものだった。ソ連邦の崩壊はそれから二年後。もう少しものの道理はわかるようになっていたものの、実際のところわたしに物心がついたときには既に書記長はゴルバチョフで、米ソの緊迫した空気を肌で感じた記憶はない。

その少し後に、映画「羊たちの沈黙」のヒットや、ロバート・K・レスラー「FBI心理分析官」が翻訳されたのを背景に、シリアルキラーブームのようなものが起きた。さまざまな分析本、殺人鬼のドキュメント本が争うように出版され、その中にソ連最大の殺人鬼チカチーロについて書かれた「子供たちは森に消えた」があった。ひとりの男が50人以上もの人間を長期間にわたって手にかけながら捕まらなかったということはにわかに信じがたかった。それだけの殺人鬼を一種の野放し状態にしてしまった政治的背景というのは当時まだ理解しがたく、強くイメージに残っているのは「非一致型」という、血液型と精液の凝固タイプが一致しない人間がいるということだったりする。

この小説で起こる連続殺人事件は、チカチーロに着想をえている。しかし、時代設定は実際にチカチーロが犯罪を起こしていた80年代ではなく、ちょうどスターリンからフルシチョフへとソ連の体制が大きく変動する時期とされており、この背景選びのうまさが、「チャイルド44」をここまでおもしろくした最大の要因なのだと思った。

主人公は国家保安省のエリート捜査官レオ。当時のソ連では、共産圏では凶悪犯罪は起こらないものであるという信仰(というかプロパガンダ)があった。そのため殺人は事故として処理する、もしくは適当な犯人を検挙、拷問という名の尋問で自白させ解決したことにする、というやり方が一般的で、国家保安省の仕事の中心は犯罪捜査ではなく思想犯の取り締まりである。この思想犯の取り締まりというのも、他の犯罪捜査同様強引なものなのだが、レオは自らの仕事に疑問を抱くことなく多くの思想犯を捕らえ、死に追いやってきた。しかし、謀略によりレオの妻にスパイの容疑がかけられ、それにより彼は捜査官の職を追われる。そして、国家の犯罪に対する捜査方に疑問を抱きはじめると同時に、かつて自らが「事故である」として処理した子どもの死亡事件が、実はとんでもない連続殺人の一端なのではないかと疑いはじめる。

発売当初からずっと横目でうかがいながらも手に取るタイミングを逃しているうちに、「このミス1位」の帯が付いた。そうなるとひねくれ者のわたしはなおさら購入を躊躇するようになるのだけども、やっぱり気になって仕方ないので買ってしまった。冒頭ウクライナ飢饉の描写からしてショッキングで、引き込まれてその後も上下巻息つく暇もなく読み終えた。展開が早く、緊張の途切れる場面がないので体力は消耗したけど、伏線と回収もすごく巧くて、面白かった。

国家、組織としての歪みだけでなく、個人の抱える嫉妬やエゴのような醜さ。また、そういったものに翻弄され、いともあっけなく人々の善意が崩れ去るので、読んでいて苦しくなる場面は多い。でも、とことん打ちのめされたところから信念を持ちはじめるレオと、彼の妻ライーサの関係性が徐々に変化して行く流れが何より良い。今年はこの手のアクション・サバイバル要素のある小説も、「ザ・ロード」「白の闇(新刊じゃないけど)」「チャイルド44」と素晴らしい作品ばかり読めたなあ。中でも「チャイルド44」は一番スピード感があって映画向きだと思ったので、そちらも楽しみです。