メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

バートン・フィンク|ジョエル&イーサン・コーエン

「血と暴力の国」を読んでいるうちに、「ノーカントリー」の受け止め方、解釈に自信がなくなってきた……というようなことをここに書いたのは春。久しぶりに「バートン・フィンク」を観て、やっぱりコーエン兄弟はシガーをただの冷酷な殺人鬼として描いたわけではないんだろうな、という思いを強くした。多分「ファーゴ」を見返したらもっとその考えは強固になるんじゃないかと思う。

ハリウッドの理不尽さや、ユダヤ人として受けた不当な扱い、そういったものを描く中に、血みどろの殺戮、理由のない殺人鬼というのはある種無理やりな存在だ。この映画自体は、殺人がなくとも成立する。大筋とはさして関係ない流れで人は首を切られ、猟銃で撃たれ、火を放たれるので、目に見えるものをすべて事実として受け止めようとするならば、とても難解な映画にも見えてくるかもしれない。でもここでは、殺人鬼のキャラクターや殺人行為自体が写実的な意味を持っているわけではなくて、それら自体がメタファーであり、デイヴッド・リンチのカーボーイや泣き女のようなものなのだろう。シガーが単なる殺人鬼ではなく、運命そのものの比ゆ的存在であったように。

カメラワークも陰影も、アールホテルのセットも素晴らしいし、ジョン・タトゥーロジョン・グッドマンという、胸焼け確実なくらい濃いふたりの怪演も素晴らしい映画です。