メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

リヴァイアサン|ポール・オースター

リヴァイアサン (新潮文庫)

リヴァイアサン (新潮文庫)

オースターの長編を読むのはこれで7作品目になるが、ポストモダン色の強い作品群と筋のはっきりした物語性の強い作品群の、ちょうど真ん中あたりに位置する印象を受けた。

冒頭で友人が不可思議な死に方をし、書き手は、その友人との出会いから彼の死までを振り返り書き記す。主人公が書き手であるという点や、ある人物の人生をなぞる(=追う)というのはオースターの小説の定番ともいえる手法。その定型を用いながら、ポストモダン的な作品群では、対象を追い求めるうちに主人公が自分を見失ってしまう展開が多く見られ、物語性の強い作品群では、主人公はおおむね自分自身を保つことができているように思う。この作品の場合、自分を見失ってしまうのはサックスであり、書き手はストーリーが進むにつれどんどん自らを安定させ確固たるものとしていく。「リヴァイアサン」の主人公は書き手の男であるけれど、小説そのものが彼の作品であるという体裁をとっているため、サックスこそが主人公であるともいえる。この小説のふたりの主人公は、オースターの(おおざっぱに二分した)異なる作品群の特長をそれぞれ体現しているように思えた。

もうひとつ面白かったのは、偶然の名の下に、登場人物を複雑に絡み合わせるところだった。10人に満たない主要登場人物のうち、2人か3人にスポットを当てた場面が繰り返され、しかもその2・3人の組み合わせも関係も常に一定しない。初対面だと思ったらかつての知り合いだったり、友人同士だったはずが恋愛感情を抱いていたり、関係が絶え間なくくるくる入れ替わる。だから、登場人物が引っ越したり旅をしたりで舞台としてはかなり広範囲に及ぶにも関わらず密室劇のような印象を受けるし、群像劇のようにも見える。幻視的な要素が薄いから、一見とっつきやすいようだけど、これはすごくおかしな構造の小説なんじゃないだろうか。いかにも観念的っぽい外見をしているニューヨーク三部作より、「リヴァイアサン」のほうがよっぽど実験的だし、「ミスター・ヴァーティゴ」のほうがよっぽど読者を突き放した終わり方をしていると思う。