メトロガール

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クラクラ日記|坂口美千代

クラクラ日記 (ちくま文庫)

クラクラ日記 (ちくま文庫)

坂口三千代さんは坂口安吾の妻であり、「クラクラ日記」は、安吾の死後十年を経てからさらに十年をかけ、三千代さんが雑誌連載として綴った回想録である。

坂口安吾といえばいわずと知れた無頼派を代表する作家であり、「堕落論」「白痴」などの作品だけでなく、ヒロポン中毒による入院や暴力事件、競輪の八百長を暴こうとした騒動や税金滞納など、その生き様も破天荒で波瀾万丈なものとして知られている。その安吾との出会いから結婚、薬物中毒、トラブルによる度重なる転居、そして突然の死まで、淡々とした書きぶりで語られるのは壮絶な夫婦生活である。

本書でもっとも有名な下りは、アドルム中毒で荒れ狂う安吾の苦痛をともにしようと、三千代が自らもヒロポンとアドルムを服用して夫の介護にあたる場面であり、わたしが最初にこの本に関心を持ったきっかけもその逸話に圧倒されたからだった。しかし、実際のところ三千代が闘っていたのは、暴力でも薬物でもなく、なにより「愛する夫の抱える深い孤独」である。それは、安吾が薬を飲まない時期にも、躁鬱が落ち着いている時期にも変わらず彼の中に巣食っているもので、ひたすらに三千代はそれに怯え、そこから夫を救いたいと願いながらも、心のどこかであきらめている。深い愛情と絶望でつながっているふたりの生活は、息子の誕生(その息子に安吾は「綱男」と名付ける。「綱」の字に彼は、自分と妻とを離れないようつなぎ止めて欲しいという願いを込めている)によりようやく救われるかと思われたが、間もなく安吾は脳溢血で急死する。

「クラクラ日記」は後年振り返って書いたからこそ、壮絶さのなかにも深い愛情が満ちているのであって、暴力のさなかにある当時は、三千代の心の中にももっと複雑な感情があったことだろう。愛や恋というのは本当に複雑で難しい。例えば、女遊びが激しいから、ギャンブル癖があるから、そんな男はやめておけという忠告、それは確かに正しいことだし善意による行為だろう。家庭内暴力に悩みながらそれでも愛情があるから離れられないと言えば、今では「共依存」の一言で容易く切り捨てられてしまう。頭ではそういった考えこそがまっとうなものだとわかっていながらわたしはやはり、どこかで納得できない。

人と人との組み合わせの数だけ、その関係性もさまざまである。それを、何が正しいか誤っているかと赤の他人が決めつけ、その判断基準がまかりとおってしまう。そんなきれいごとだけが、優しさと居心地よさと経済的な安定性とを兼ね備えた、ホームドラマみたいなものだけが「正解」で「愛情」で、それ以外は全部、「間違った愛情」なのか。安吾と三千代の関係が美談と言われるのは、安吾が希有なる作家だったからであり、これがもし平凡な労働者かなにかだったとしたら、ただの愚かな男と妻だと一笑にふされていたに間違いない。

個人的には、何をしたってどれだけ間違ったって許してくれる、味方でいてくれるような人間が、誰にだってひとりくらいはいたっていいんじゃないかと思っている。それは親かもしれないし友人かもしれないし、恋人や配偶者かもしれない。安吾にとってはそれが三千代だったわけで、すごく不器用なやりかたではあったけれど、三千代にとっても安吾こそが、そういう愛し方をしてくれるただひとりの相手だったのだと思う。