メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

腸詰小話

完訳グリム童話集〈1〉 (ちくま文庫)

完訳グリム童話集〈1〉 (ちくま文庫)

  • 作者: ヤーコップグリム,ヴィルヘルムグリム,Jacob Grimm,Wilhelm Grimm,野村〓@55DB@
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 文庫
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ゲルマン人に対してもっとも畏怖に近い感情を抱いたのは、「ゲルマン民族大移動」という単語を耳にしたときではなく、わたしの場合、グリム童話の「はつかねずみと小鳥と腸詰め」という話を読んだときだったと思う。ご存知の方もいるかも知れないが、簡単に筋を説明すると、まず前提として、はつかねずみと小鳥と腸詰めが仲良く暮らしている。この時点で一旦思考停止するのが通常の日本人の反応だと思う。同居しているのが「はつかねずみと小鳥と栗鼠」ならば、はたまた「腸詰めと枝豆とビール」ならばまだ納得がいく。しかしここでは「はつかねずみと小鳥と腸詰め」が一緒に暮らしている。しかも仲良く。明らかに腸詰めは浮いている。いくらおとぎ話だとしても、動物と食物の垣根を飛び越えるのはあまりに突飛すぎないか。

3人(?)は、共同生活を送る上でそれぞれ仕事を受け持っていた。小鳥は薪集め、はつかねずみは水汲み、腸詰めは料理。この腸詰めの作る料理というのが凄くて、スープ鍋の様子を見守り、頃合いをみてその中に飛び込み鍋底を這いずり回る。すると腸詰めからだしが出て、いい具合にスープに味がつくというわけだ。はたしてそれで腸詰めは無事なのか。無事だとしても、腸詰めは自らの肉体でだしをとったスープを食すのだろうか……等々疑問は消えない。その後、3人の幸せな暮らしをねたんだ仲間に「おまえひとりきつい仕事を押し付けられている」と吹き込まれた小鳥が、はつかねずみと腸詰めに仕事の交代を申し出る。結果、森へ水を汲みにいった腸詰めは道中野犬に食べられ(そもそも今までねずみに食べられずにきたことが不思議だ)、スープに味を付けようとしたはつかねずみは茹だって死んでしまい、なんだったか忘れたが最終的には小鳥も死んでしまうという、まあ、適材適所という教訓が込められた寓話なのである。しかし、そんな教訓はどうでもよくなってしまうくらい、この短いおとぎ話を読むあいだ、最初から最後までわたしの頭の中には「腸詰め」という単語と「?」が交互にくるくる回り続ける。

いまだにわたしはグリム童話といえば、ラプンツェルでも眠り姫でもなく、一番に「腸詰め」の話を思い出してしまう。また、本場っぽい大きなソーセージを見ると、やはりこの「腸詰め」の話を思い出してしまう。ちなみにグリム童話には、ほかにも「赤腸詰めと白腸詰めの話」なるものもあり、これはいわゆる血のソーセージと普通のひき肉のソーセージのことなのだけれど、当然どちらも話の中では擬人化されている。まあ、それもこれも、ドイツという国で腸詰めが親しまれている証拠なのだろう。日本でいえばアンパンのようなものなのかもしれない。

ところでアンパンといえば、わたしがあの国民的アニメで一番衝撃を受けたキャラクターは「赤ちゃんマン」だったりする。赤ちゃんであることがアイデンティティーであるという設定は、いくらなんでもアナーキーすぎやしないだろうか。