メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

若さについて考えた2冊

星の王子さま (集英社文庫)

星の王子さま (集英社文庫)

多分最初に読んだのは、岩波版だったと思う。残念ながらわたしはそのときもう子どもではなかった。かといって大人ではなかったけども、というかそういう区切りについて考えはじめると、今だって大人ではないような気がしてくるのでとりあえず「子どもではなかった」くらいの年頃で、「星の王子様」を読んだのだという表現にとどめておく。今回久しぶりに、池澤訳でははじめて読んで、印象としてはやはり、すごく魅力的なところとイラっとくるところの混在する小説だった。全体的には、羊のくだりとか、夕焼けのくだり、花のくだり、キツネのくだりも、本当にぐっとくるんだけど、同時にあからさまに教訓臭い部分も多々あって、そういうところは鼻につくなあと感じてしまう。自分の中の、理想主義で夢見がちな部分は、そういうものを素敵だと思ってあこがれもする、反面現実的な部分で漠然とした反感を持ってしまう。例えばリチャード・バックの小説を読んだときなんかも似たような感じを受ける。

何にせよこれは「子どものために書かれた物語」では決してなくて「子どもでなくなったことを恥じている大人のために書かれた物語」だと思う。だからこそ逆に、本当の子どものときに自分がこれを読んでいたら、何を感じたのだろうかということを考えてしまう。


万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

中だるみというのか、嵐の前の静けさ、盛り上がる前の助走だと思ってがまんしながら読み進める部分というのが一切なくて、そういう意味ではものすごく面白い小説だった。話のほとんどが四国の山奥(の、さらにいうならばたった一軒の家)という限られた舞台で進むにも関わらず、退屈な描写がまるで見当たらない。そこそこ分量はあるのに、あっという間に読み終えてしまった。けれど、どんな小説だったか、何の小説だったかということを形ある言葉にしようとするととても難しい。あまりにあっさり読みすぎたせいだろうか。

大江氏の初期の作品は紛うことなき青春小説で、だからこそ政治思想や時代といった簡単には理解しがたいものがあったとしても、もっと根源的な部分、ひりひりした焦燥を皮膚感覚として共有することができる。逆にある程度年齢を経てからの作品になると、過激さがおさえられ、いかにも小説として/物語としての面白さに引きずられるようになる。その過渡期にある「万延元年のフットボール」は、青春を引きずりながらもそれを終えてしまったような男が主人公で、だからこそわたしにとっては受け止め方がむずかしい。引きずり込まれて一気に読み終えるまでのあいだ、けれども主人公「蜜」とその妻「菜摘」にはまったく同調することができなかった。あと何年後かに読めばまた印象が変わってくるのかな。うーん、きちんと受け止めきれていないのでやっぱり感想もちゃんとは書けません。白旗。