メトロガール

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母の発達|笙野頼子

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

母親と娘の関係は、ひとつの普遍的なテーマとして文学だけでなく、心理学や社会学などでも取り上げられることは多い。とはいえ、父親と息子の関係だってオイディプスの昔から繰り返し語られているし、母親と息子や父親と娘だって、兄弟姉妹だって、結局のところ人間関係なんてなんだって難しいものに決まっている。とはいえまあわたしが女で、母親との関係についてそれなりの紆余曲折を経ているだけに、この「母の発達」のような小説は身につまされるのもまた確かなことだ。

強権的な母と、その顔色をうかがいながらも期待に応えることができず、どんづまってゆくヤツノ。「母の縮小」では、高校生のヤツノが、「母を縮小する」ことによりその脅威から逃れようとする。そして続く「母の発達」「母の大回転音頭」で、母殺し/再生を経て、概念としてまた物質としての「おかあさん」を殲滅し再構築するという共通の目的のもとに「母と娘」はようやく「共犯者」となることができる。

家庭というのは「個人」ではなく「役割」をより必要とする社会単位であるため、複雑な葛藤や矛盾を抱え込みやすい。「妻でも母でもなく女でありたい」という台詞は、陳腐ではあるがほとんどの夫と子を持つ女性が感じているところであるかと思う。近年多く見かけるようになった「ともだち親子」というのは、この家庭内での役割モデル「親」に窮屈さを感じた末、「面倒だからわたしも子どもになっちゃえ」と役割を半端に投げ出した結果、と思えなくもない。

いろいろと個人的事情にからめて書き連ねるのも良いことではなさそうなので、止めておく。けれど、女性の多くはやはりどうしてもこの小説を自分と重ねて読んでしまうだろう。一方の男の人は、「女ってわけわかんねえ」と思うかもしれないし、ただ純粋にダイナミックな展開と語感を楽しむかもしれない。三重の言葉なのだろうか、全編関西弁らしきもの+異様な語感で書き綴られるので、読んでいるうちに言葉に酔ってトリップしてしまう感じは町田康の「告白」を読んだときみたいだと、ちょっと思った。五十音順に、それぞれの母を作り出すというのはアイデア的には「バカドリル」みたいだとも思った。

ところでわたしは、「あ〜ん」のお母さんのなかでは「つ」の母がダントツに好きだ。

「つ」の母は『罪と罰』の母やった。「あんた、黙ってたら判らへんやないのー。そのまま逃げたったらええねん」とラスカリニコフに言った。

母と娘の関係を奇想によって生々しく描く、というのはエイミー・ベンダー「燃えるスカートの少女」に収録されている、母を生んでしまう娘の話あたりも共通するので気になる方は読んでみると良いかも。