メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

チェンジリング|クリント・イーストウッド

イーストウッドは4月公開の「グラン・トリノ」に期待していて、逆に予告編であまりぴんとこなかった「チェンジリング」はスルーしようかと思っていたのだけども、いざ公開がはじまってみるとあまりに評判が良いので、劇場に行くことにした。1920〜30年代のロサンゼルスを舞台に、失った子どもを必死に取り戻そうとする母親や、そこに立ちはだかる警察組織の腐敗、子どもの無垢と残酷さや、罪と罰など、重苦しく難しいテーマがこれでもかと詰め込まれている。にも関わらず、散漫にならず、長尺であることを感じさせない密度の高い映画だった。昨年末「その土曜日、7時58分」を観たときに、御年83歳のルメット監督がこんな攻めの映画を撮るのだとひどく驚いて興奮したが、イーストウッドも78歳で、しかもこの多作ぶり。円熟の上にさらに進化し続ける老監督の姿に、高齢化時代も悪くないななどと思ってしまう。

女手ひとつで大切に育てている9歳の息子がある日行方不明になってしまう。半年後、警察から息子発見の報を受けるが、なんと再会の場所に現れたのは我が子ではない別人だった。この子は息子ではない、と必死に訴える母親だが、ロサンゼルス警察は自らの手柄を守るために事実の解明をしようともせず、逆に母親の錯乱を理由に精神病院へ閉じ込めてしまう。

あらすじだけ読むと、荒唐無稽としか思えない。新生児ではなく、「9歳」の子どもである。9歳ともなればある程度顔立ちは完成されているし、さすがに半年で別人のように人相は変わらない。実の親が子どもを見間違えるはずがあるようには思えない。しかも、不明になった当時より身長が縮んでいる、歯科的特徴が異なっている等の客観的な証拠もある。なのになぜか偽の息子が本人であると断定されてしまい、ここまで大きな事件になる……実話を元にした映画だと言われれば言われるほど、うさんくさいものを感じるのが正直なところだった。だからこそ、実際に映画を観て、また現実の事件について書かれた文章を読んで、常識や固定観念が覆されるようなショックを味わった。この映画の感想を書かれている方のほとんどが触れているが、「特定個人が、他ならぬその人物であること」を客観的に証明するのがいかに難しいことであるか、当たり前であるはずの社会における個人の存在というものが実はどれほどにもろく危ういものであるかということに驚かされ、また不安を与えられる。

映画終盤で描かれる「希望」の描写については、様々な受け止め方があるだろうけども、やはりわたしは残酷さをより強く感じずにはいられなかった。また、ストーリーの核心に触れるので詳しくは書かないけども、キリスト教的な罪と罰、懺悔の感覚については若干ピンと来ないところもある。正直であることこそ善良で、贖罪なのだろうか? だとすると、善良であることと良心は必ずしもイコールで結ばれないことになるが、正直であることは常に良心に優先されるんだろうか。たとえそれが他人に残酷な結果をもたらすのだとしても。

ところでアンジーはやはりとてもきれいで、衣装、とくに帽子づかいがとても素敵だった。ああいう帽子が欲しいです。ジョン・マルコヴィッチはなんかすごくいい感じに老けて、やはりとても素敵だった。そして、偽息子のふてぶてしい演技がすばらしい。本気で憎しみを感じそうになりながら、あいつはいい役者になるに違いないと思いました。