メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

数字とわたしの長き確執

今週も忙しかったものの、先週の辛さとは打って変わって気分のいい一週間だった。体が忙しさになじんだというのもあるだろうけども、一番の違いは仕事の内容。書類提出期限に向けきりきりしながら数字とにらめっこするのと、たとえビジネス文書であろうとも、ことばに向かい合っているのとでは気分的に全然違う。数字が大嫌いで足し算さえまともにできないことに加え、強度の近視と乱視を抱えるわたしにとって、疲れた目で小さい字を読むことは不可能に近い。「5と6」「6と8」「3と8」など、不思議な入力誤りに書類をチェックしている上司は首を傾げるが、夜中になるとわたしの目はそれらの数字を区別することができなくなるのだ。

数字が苦手なのは昔からで、高校時代数学は恐怖の対象だった。数字と記号とグラフ、理解不能の概念をほとんど投げ出していたものの、人の子なのでやはり落第はしたくない。理論を解し、考えて問題を解くことができないわたしは、集中力と短期記憶には自信があったため、「丸暗記」という安易な方法で試験を乗り切るようになった。校内の試験で出題されるのは、テキストや問題集から引き写した、せいぜい少し数字を替えた問題ばかりだったので、解答を暗記してしまえばある程度は対処することができたのだ。

しかし、あるとき予想外の事態が起きた。B4一枚分の長大な証明問題の解答を、数日前に暗記したとおりに書き込んでいる最中、わたしはとんでもないことに気づいた。冒頭「x,y,z」であった未知数がいつのまにか「a,b,c」になっている。どれほど数学が苦手なわたしでもさすがに、証明途中に「x,y,z」がこつ然と消滅し、なにもないところから「a,b,c」が出てくるのが非常識であることくらいはわかる。実は前に数学の授業で、担当のE先生が「この間のプリント、途中から違う問題の解答が混ざってました。ごめんなさい」と、黒板に正しい証明を書いて写し取らせていたのだ。しかし、窓の外ばかり見ているわたしは、それを聞き逃し、無駄な労力を費やし誤った解答を暗記していたのだった。数日後、答案を返しながらE先生は皆に聞こえるように言った。「嫌みでもなんでもなく、尊敬します。僕だったらこんなに覚えられない。普通に解く方が楽だと思うんですけど」。さらに続ける、「感動したんで1点あげました」。出向で数学を教えにきていたE先生は、もとは民間企業の専門職で、理系専門職らしいマイペースなひとだった。彼は本当に嫌みでもなんでもなく、この問題を解くことでなく暗記することを選んだわたしを不思議に思い、感心しているようだった。悪気のない言葉に、わたしは打ちひしがれながら「ありがとうございます」と答えるしかなかった。

数学のみならず物理と化学も壊滅的だったにも関わらず、なぜかわたしは理系に進んだ。大学では「基礎化学A(高校レベル)」の単位を二度落とし、最後までモルの計算(高校一年生で習う)がまともにできなかった。そのくせ高校理科(さすがに生物)の教員過程を取っていたため、大学四年の春に教育実習のため母校へ戻った。なじみの先生方はほとんどそのままで、教育実習というよりはただ遊んでいるだけの二週間は非常に楽しかったが、E先生の数学の授業を見学している最中に事件は起こった。先生は生徒たちに向かって「今日はasxさんが聞きにきてるけど、彼女すごく優秀なんですよ。話したでしょう、ものすごく長い証明、僕が間違って印刷した答え丸暗記して、答案に書いたの、あれ彼女です」。彼はわたしの失態を持ちネタとして、毎年生徒たちに語って聞かせているのだった。他、「スカートが短い」「ヒョウ柄のタイツを履くな」等々生徒の前で担任に小言をもらい続けたわたしが、それらの失態を理由に生徒たちから親しまれたことは言うまでもない。

適性とは不思議なもので、わたしがそれほど苦しんだ数学を、クラスメートのMくんはたやすくこなしていた。彼は「グラフをじっと見てると、ふっと仕組みがわかるんだ」と言っていた。反面、彼が点をのばせず苦しんでいた現代文はわたしにとって、勉強する必要を感じたことのないものだった。

「数字のほうがはっきりしてるから、楽だよ」と同僚は言う。わたしの作る財務関係の書類は、ただの計算間違いのみならず、後で見返すと自分でもどこから引っ張ってきたのか判らない謎の数字が散見される。検算すれば、どんどん違う数字ばかりが増えていき、収拾がつかなくなる。一方文章をいじりまわすのであれば、ビジネス文書だろうと議事録だろうと、法律だろうと、契約書、仕様書だってわたしにとっては割と楽しい仕事である。今週は大きい会議のテープ起こしから議事録作りに、ミーティングのメモ出し、その他文書作成の諸々。「時間かかるでしょう」「大変そう」と言われながら、内心わたしは嬉々としている。