メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ダウト

フィリップ・シーモア・ホフマンが好きなのと、ロジャー・ディーキンスというコーエン作品を多く手がけている撮影監督が参加しているということで、日曜日に観に行った。ちなみに編集のディラン・ティチェナーはP.T.アンダーソン作品の常連で、アルトマンの弟子。コンパクトな作品なんだけど、キャストにもスタッフにも隙がない。

60年代のカトリックスクールが舞台。保守的で厳格な女性校長は、「開かれた教会」を主張する、革新的で生徒に人気のある神父を苦々しく思っている。若い女性教師がふと漏らした不安から、校長は「神父は男子生徒に性的虐待をおこなっているのでは」という疑いを抱くようになる。なんの根拠も証拠もない疑いは、彼女の中で次第に強固なものになってゆき、否定する神父と校長は激しく対立する。
顔も言動も行動も恐ろしい校長を演じるのはメリル・ストリープ。疑いをかけられる神父にフィリップ・シーモア・ホフマン。若い女性教師にエイミー・ワトソン。

劇作品らしく、舞台のほとんどは学校の敷地内、登場人物や場面もそう多くはない。疑う者、疑われる者、彼らの主張の板挟みになる者の強烈なぶつかり合いがメインなので、出演陣は総じてオーバーアクトで、見ようによってはとても暑苦しい。フィリップ・シーモア・ホフマンは個性派俳優と言われる役者にありがちなこととして常々オーバーアクトぎみであるが、この作品では完全にメリル・ストリープの迫力に食われていた。さらに、生徒ドナルドの母を演じた黒人女優が、メリル・ストリープを圧倒するほど強烈に感情をぶつけた演技を見せ、エイミー・ワトソンも負けじと涙目で唇を震わせる。このあたりの演出もいかにも劇作品らしい。ストーリーとしては起伏に富んだものではなく、主題は「神父はクロかシロか」というよりは「疑いとは」というところにあるように思えた。なぜ神父の罪をそこまで強く信じられるのかと問われ、「見れば判る」「経験です」と言い切る校長の疑いは、ほとんど妄執のように見える。サスペンス要素よりは「疑うこと」「疑うことを止められない者」の業と悲哀が強く印象に残った。

名前は判らないけれど、ところどころに出てくる、老衰の進んだ盲目のシスターが良かった。鬼のように恐れられている校長が、「目が見えないことがばれたら施設にいれられてしまう」と彼女のことは気遣う。ここで見せる校長の優しい部分が、ラストシーンにもきれいに繋がってくるように思う。

しかし、メリル・ストリープは本当に怖かった。あまりに怖くて、劇場を出てから雑誌で、髪を下ろした普段のメリルの姿を見てほっと安心してしまった。フィリップ・シーモア・ホフマンは、誠実さとうさんくささと哀しみをすべて含有したようなキャラクターが本当によく似合う。優しげに笑っているのにどこか裏があるように見え、そのくせなんだか哀愁も漂う。わたしは、基本的に痩せぎすの男性を好むのだけども、なぜかオーバーアクトの大柄な白人個性派俳優にも惹かれる習性があって、ジョン・グッドマンなんかも大好きだ。ジョン・グッドマンに聖書を売りつけられたい。満面の笑顔で雄叫びを上げながらマシンガンをぶっ放してくるジョン・グッドマンに追われたい。というのはさすがに嘘ですが。