メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ダイアナの選択

反抗的でタバコ・ドラッグ常習、トラブルを抱える少女ダイアナと、大人しく真面目なポーリーンはハイスクールのクラスメート。正反対のふたりだが、ふとしたきっかけから親しさを増す。しかし、ある日、授業開始前にトイレで化粧を直しているふたりの耳に叫び声と銃声が響き、散弾銃を構えたクラスメート、マイケルが彼女たちの元にもやってくる。彼は前日「クラス全員を殺す」と口走っていたが、ダイアナはそれを冗談だとばかり思っていたのだ。「わたしたちを殺さないで」と叫ぶダイアナとポーリーンに、マイケルは言う「どちらかひとりを殺す。どっちを殺してほしい?」。そして、15年後、高校で美術を教えるダイアナは、大学教授の夫と、幼い娘に囲まれ幸せな生活を送っていた。しかし、乱射事件から15年目の追悼式典が近づくにつれ、ダイアナの情緒は不安定になってゆく。

高校での銃の乱射事件、主人公が17歳ということで、どうしてもコロンバイン高校銃乱射事件を思い浮かべてしまう。射殺犯マイケルのバックグラウンドに一切触れていないことからしても、このスクールシューティングはただ「選択」のきっかけとして用いられているに過ぎないんだけど、数日前にドイツであんな事件もあったところなので、どうしても。

ヴァージン・スーサイズ」や蜷川実花を思い起こさせる彩度が高くきらきらした高校パートの映像は夢のように美しく空っぽで、それらが象徴する17歳のダイアナの感受性がこの映画のすべてなのだろう。観ていていらだちながらも、ところどころは鏡を見ているような気持ちにもなり、自然と目を細めてしまう。何にせよ、10代というのは圧倒的な怒りと焦燥を抱えていて当然だし、抱えるべきなんだと思う。生きているだけで悔し涙がにじむような、感情のやり場がなく力任せにノートを引き破ったあのときのような、怒りは去っただろうか。30を目の前にしたわたしの中には、燃え上がることはなくとも、まだくすぶっているのだろうか。わたしはまだ大人になりきれないし、だからといって子どもでもない。それでも、生きることはずいぶんうまくなるものだ。

ひとつ大きなトリックの仕掛けられた作品なんだけど、わたしはこのトリックは、驚きのための仕掛けというよりも、単純に映画の構造としてなかなかいい役割を果たしていると思う。そのトリックに絡んでエンドロールの後に表示されるキーワードによって閲覧できるウェブページでは、監督や精神科医のコメントが読めて、蛇足ながらも興味深かったので、劇場に足を運んだ方はこちらも見てみることをお勧めしたい。田舎町で悶々と過ごす少女がビッチだとこの映画で、文化系女子だと「ゴースト・ワールド」になるのかな、といったイメージの作品だった。

ところで「スクールシューティング」自体はこの映画にはたいした関係ないと思いつつ、思い出したら観たくなって、またガス・ヴァン・サントの「エレファント」を借りてきてしまう。これも、一体何度観たら気が済むんだろう。