メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

あわててDVD3本

観る時間がなくて放り出していたDVDが3本あって、返却期限ぎりぎりに慌てる。

エレファント デラックス版 [DVD]

エレファント デラックス版 [DVD]

何度も繰り返し観ているし、このジャケットのスチールは、もう5年もわたしのデスクトップを飾っている。ガス・ヴァン・サントは圧倒的な映像の美しさと、センチメンタリズムに惹かれ、新作が公開されるたびにできるだけ観るようにしている監督のうちひとり。言わずとも知れたことだけど、この映画はコロンバイン高校銃乱射事件を題材にしている。事件当日の朝から、事件までのあいだ、被害者となる生徒、被害を免れる生徒、事件を起こす生徒など、高校生の何気ない日常を淡々と映す。そして、事件が起こり、そのさなかでフィルムは途切れる。固定カメラと、歩く早さにあわせ登場人物を追うカメラワーク。起こる事件に対して、背景にあるものや原因を追うのでもなく、分析、回答を与えるのでもなく、ただただそれを、ごくあたりまえの日常の中で起こる出来事として捕えるのは、この作品や昨年公開された「パラノイドパーク」でも同じ手法だ。特に「エレファント」の場合、実際に起こった事件を題材にしているだけに、この描き方には賛否両論があったらしい。背後にある銃社会の問題、いじめの問題を直接的に取り扱うことは、社会派映画的なひとつの視点だけども、これは青春映画である。加害者も被害者も、それ以外も、ごく普通の高校生のごく普通の喜びや哀しみや、それぞれの生活があって、そのなかでこのような事件が起こってしまう、起こりうるという事実こそが胸をえぐる。「泣いているの?」と聞かれ、抱きしめられるジョン。頬に与えられるキス。多分わたしは、この先も繰り返しこの映画を観るだろう。ガスの新作「ミルク」もとても楽しみにしている。

タクシデルミア~ある剥製師の遺言~(通常版) [DVD]

タクシデルミア~ある剥製師の遺言~(通常版) [DVD]

昨年劇場で見逃したことを悔やんでいたハンガリー映画。辺境の地でひたすらエロティックな妄想に耽る一兵卒、世界選手権を目指す大食い選手、孤独の中芸術的な剥製を作成することに没頭する剥製師、祖父/父親/息子と三代にわたる男の話はファンタジックで美しくグロテスクだ。祖父は極寒の地で性欲のみを追い求める。父は食欲と名誉欲に溺れる。そして、父から愛されない息子は永遠の生命への欲望を募らせ、ささやかな恋すら破れたときにその欲望は自滅的な方向へ向かう。滑稽で、不気味で、きれいで寂しくて、すごく好きなタイプの作品だったので、スクリーンで観たかったと改めて残念に思った。作風としては「ブリキの太鼓」やヘルツォークヤン・シュヴァンクマイエルクエイ兄弟のダーク・アニメーションに、クローネンバーグやリンチあたりが好きならば絶対に気に入る作品だけども、生々しいエロス、グロテスク、畸形あたりが苦手な方にはお薦めしません。息子役のドイツ人俳優がすごくいいなあと思ったら、クエイ兄弟の「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」で庭師のひとりを演じていたらしい。思い出せるような思い出せないような。さらに「グッバイ・レーニン」にも出演とあるけども、これはさっぱり思い出せない。

享楽的社会主義者の大学教授、レミが末期がんで長くないとの連絡を受け、息子はロンドンから両親のいるカナダへ向かう。父親の女癖の悪さに辟易し長年会話も交わしていなかった息子だが、父に充実した最期を迎えさせたいと、病室の設備を整え、父の友人を招き、苦しみを取り除くためにヘロイン入手まで試みる。最期までシニカリズムを貫きながら、人生を振り返り、悔やみ、また生への執着を振り切れないレミの葛藤と、彼を囲む人々のやりとりがメインのヒューマンドラマで、実は昔に公開された「アメリカ帝国の滅亡」という映画(タイトルはこんなだけど、インテリ中年たちがあけっぴろげにセックストークを繰り広げる、風刺的な映画であるらしい。主人公は本作にも出てくるレミと友人たち)の続編だったりする。最近観たところだと「ビッグ・フィッシュ」や「ベンジャミン・バトン」。ひとはどう生き、どう老い、どう死んでいくかを描いた映画は多い。この作品は、そもそもあまり焦点を絞っていないし、息子が父への愛情を示す方法として闇雲に札ビラを振りまくので、なおさら受け止め方にとまどってしまう部分もある。しかし、死んでゆくレミと、彼の死を見守ることで生き直す決意をするジャンキー少女など、映画的にすごくいいなと思うところも多くて、やっぱり最後は泣いてしまった。あと、個人的にはレミが、死ぬ前に本を書けば良かったと言い出す場面が好きだ。どんな本を? と問われ、彼は「収容所群島」をはじめとし、自分の好きな本を次々挙げて、自分がそれらを書きたかったと声を張り上げるのだ。なんだかその気持ち、少し判る。わたしはケリー・リンクの「黒犬の背に水」を読んだとき、エイミー・ベンダーの「終点」を読んだとき心から、わたしがもし小説家に生まれていたら、この小説を書きたかったと思ったのだった。