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柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方|柴田元幸、高橋源一郎

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方

小説について語られた本は大好きなんだけど、手に取るときちょっと躊躇する。理由は、ただでさえ読みたい本を全然読み切れずにいるのに、興味深いタイトルについて触れられるとまた「いつか読む本」のリストが膨張して、途方に暮れてしまうから。そして、誰かが本について語るのを聞くより、その元となる作品を一冊でも多く読むことの方が重要なのではないか、という気持ちを心のどこかに持っているから。

これが正しい考えなのか誤りなのか、未だに自分の中でも判断がつかない。自分より知性も感性も豊かな他人の解釈を聞くことはためになるけれど、わたしは影響されやすいから、そうすると自分のイメージよりもそちらが優先されてしまい、結局自分が何を感じたのか、どう理解したのか、という部分が曖昧になってしまう。その点、インタビュー/対談形式のこの本の場合、柴田さんと高橋さんというおふたりの解釈が示される分、「鵜呑み感」がそんなに生まれなかった。全体的に文学論ではあるんだけど、ただの小説好きのふたりがうだうだ私見を述べてるっていう感じもあって、そのくだけた感じが楽しい本だった。おふたりとも(というか特に高橋さん)、自分の文学的立場と相反する作品に対してもきちんとした楽しみ方を心得ているとことなんかも気持ちいい。言葉もけっこう噛み砕いてあってさらっと読めてしまうのがもったいないので、付箋を貼りながら二度読んだ。

案の定、読みたい本が増えて、読まなきゃと思っていた本のことを思い出して、途方もない気持ちにもなるのは仕方ない。昨年一通り読むつもりだったフォークナーも、まだ肝心の「響きと怒り」と「アブサロム、アブサロム!」にたどり着いていないし、ピンチョンは……新潮が全集を出すと聞いてまたウェイトの体勢に戻ってしまったし、そもそも恥ずかしながらわたし、「白鯨」を読んでいないのだ(これはけっこう大きいコンプレックスだったりする)。
特に印象に残った部分を3点挙げると、

1 二葉亭四迷と「言文一致」のくだり
2 アメリカは「自由という理念ありきで生まれた国だ」というくだり
3 翻訳は日本語を内側から押し広げるというつもりでやっている、というくだり

このうち1について、高橋源一郎さんが「当時の作家ははしゃいでいたように見える」と同時に「これはこわいことだよ」と考える作家もいたと解釈している。こわさというのは、「散文を使うと意味ありげに見える」ということで、それはわたしが普段、ある種の文章に対して感じていることとかなり近いのではないかと思った。

見目きれいな、耳障りの良い単語を並べて作られた文章は、それが「ただきれいなだけで中身のないもの」であっても、すかすかであるがために解釈や想像の入り込む余地が大きく、なんだか意味ありげな、すばらしいもののように見えやすい。だから、この手の文章には疑ってかかってしまうようなところもある。じゃあ本当に価値のあるものとそうでないものの区別はどこにあるんだと言われると上手く返事ができないし、想像力や解釈を引き出すのも優れた文章だと言われると、そうかなとも思うんだけど、やっぱりそれはちょっと違う。そして、何より怖いのは、そういう「意味ありげに見えて実は何も言っていない文章」というのは容易くて魅力的だから、ついつい書きたくなってしまうところだ。ここしばらくわたしは、たとえそのせいでつまらないありふれた文章になってしまうとしても、できるだけそういう安易なきらびやかさには逃げないようにしようと、小説家でもないのに努力している。

最後に、片岡義男さんと村上春樹さんのウェイ・オブ・ライフについてのくだりは、中高生で村上春樹を読んで「なんかすかしてる」と思った自分を思い出しておかしかった。実は今でもちょっと、思ってます。悪い意味ではなく。