メトロガール

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大洪水|ル・クレジオ

大洪水 (河出文庫)

大洪水 (河出文庫)

小難しそうなイメージで敬遠していたル・クレジオ、読んでみたらとても面白かった。プロローグがちょっととっつきにくいものの、本編であるフランソワ・ベッソンの12日間に話が移ると一気に読みやすくなって、すんなり入ってゆける。

最近「現代性」を感じる書籍のタイトルを抜き出すという作業をおこなって、そこで自分なりに「現代性」というものについて考えてみたところ、ひとつの見方として「言語的、活字的」というのがあるんじゃないかなと思った。詳細を書くと長くなるので今日のところは省略するとして、そういった視点から見ると、「大洪水」のプロローグではまず、世界が言語的に、徹底的に、無機のレベルにまで解体される。と同時に世界のすべてをその、解体された言葉のかけらで構成、表現することが試みられる。一方の本編では原子レベルに解体されたことばがときに結合し、ゆるやかな有機的な連なりをもつ。解体された描写と、つながる描写がごく自然に絡み合って、独特の文体になっているように思った。状況描写はやや神経症的に思えるほど緻密だ。

記号に近いところまで解体された文章を用いる、という意味では実験的なのだけども、内容としては、乱暴な言い方をするならばいかにもなフランス小説。フランソワ・ベッソンというひとりの青年の内省、世界との距離感/違和感(ここに、文体が生きてくる)から最終的に「太陽を見つめ自らの目を焼く」に至るまでを淡々と書き記す。家族、仕事、女性を含め世界すべてに寄り添えないものを感じるベッソンは、盲目の新聞売りや、父を持たない幼児にのみ、対話の可能性を見いだすものの、結局はそれら他人やコミュニティ、さらには世界からの遁走をはかり、その結果のひとつとして自ら失明する。また、ベッソンと裏表になるのが、テープレコーダーに吹き込んだ手紙を送ってくる女性アンナで、彼女は小説を志し言葉に幻滅し、人の人生そのものに対しても幻滅した結果自殺を試みる。

本編部分についてはちょっとカミュっぽいなと思ったりもしつつ、ある個人の12日間を俯瞰の構図で眺め、プロローグ/エピローグでさらに引いて、世界そのものを俯瞰する(「創世記的」「黙示録的」という解説にはなるほどと思った)のは面白い。

個人的には、アンナの語るテープレコーダーの手紙、ベッソンと少年リュカのやりとり、作中作「黒人オラジ」など、世界に対し違和感を持つ若者のピュアネスを象徴するようなエピソードが特に印象に残った。アンナとかたつむりのくだりは、とりわけ。