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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

舞踏会へ向かう三人の農夫|リチャード・パワーズ

本のはなし

舞踏会へ向かう三人の農夫

舞踏会へ向かう三人の農夫

ちょうど一年前に「囚人のジレンマ」を読んだ。あのときも今回も、リチャード・パワーズという作家に対して気負いすぎてるせいなのか、「さあ、読むぞ」と腹をくくって買いに行くのに、実際にページを捲りはじめるまでまた少し時間を置いてしまう。水着に着替えてすっかり準備は整っているのに、水際でうじうじとためらっているみたいに。水はそう冷たいわけでも、まして汚れているわけでもないのに。本をテーブルに置いたまま一ヶ月近くも横目で眺めてしまうのは、なんでだか自分でもよくわからない。

パワーズの小説は、過剰な知に翻弄されてしまうせいか、読んでいるときはいろいろな繋がりを頭にとどめ、迷子にならないよう読み進むことに集中しすぎてしまう。だから、楽しむという感じはやや少ないし、ストーリーの続きが気になってせかされるように読み進んでしまうということもあまりない。けれど、読み終えてから時間が経つにつれて少しずつわたしのなかでいろんな枝葉(というと語弊があるかもしれないけども)が沈殿して、ずいぶん後になって、上澄みに残ったものをすくいあげてから、ようやく大事なもの、きれいなものがなんだったか理解する。「囚人のジレンマ」を読み終えて数ヶ月経ってから、ふっと水面に目をやったときに見つけたものが、どれほど美しかったか。だから、夏の盛りに思い出す「舞踏会へ向かう三人の農夫」も、きっとすごく美しい物語なんだろうと思う。

少し読み方が板についたのか、今の段階でもわたしは十分これを素晴らしい小説だと思ってはいるのだけども、時間が経ったときに残っているイメージはまた違ったものになっているような気がする。普段は直感的に、場当たり的な感性で本を読むので、パワーズを読むときのこの感じは、独特で貴重なものだから、大切にしたい。