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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

赤ちゃん教育|野崎歓

本のはなし

赤ちゃん教育 (講談社文庫 の 14-1)

赤ちゃん教育 (講談社文庫 の 14-1)

フランス文学者であり、翻訳者であり、映画愛好家である野崎歓先生の「育児エッセイ」。これがもう、公共交通機関のなかで読みはじめたことを後悔するくらい面白くて、終始にやにやしていたわたしを、隣にいたおばあさんはきっと不審者だと思ったことだろう。

泣きわめく赤ん坊、眠らない赤ん坊、「きかんしゃトーマス」にはまる赤ん坊、に動揺しながらも、その一挙一動のあまりのけなげさかわいらしさに、父親野崎氏はでれでれの親ばかっぷりを紙面に垂れ流す。赤ん坊が成長し、電車に異常な関心を示しはじめ、その姿かたち・名前に対し脅威の博覧強記ぶりを示しはじめても、すべてのもの・出来事を電車と結びつけるようになっても、母親ばかりに愛情を向け「テテないくん」と父親をないがしろにしはじめても、やはり父から息子への愛情は変わらず、育児の悩みもつきないのである。

ただの育児記録だけならば巷に溢れているわけだが、さすがは学者らしく、マラルメジャン・ジュネロマン・ロランカミュからサルトルまで、さまざまな作家、哲学者の著作の中から子育てに関わる部分を探しては、私情たっぷりに賛同したりこきおろしたりもしている。それがまた笑いを誘う。ちなみに猫好きである野崎氏は、猫の話でも我を忘れるらしく、本書には、学生から「ドゥルーズは猫好きは馬鹿だと書いていますよ」と言われ「ドゥルーズなんか知るか」と気色ばんだエピソードがおさめられている。野崎先生の本は、いくつかの訳書しか読んだことがなかったので、こんなに気持ちのいいエッセイを書く方だとは知らなかった。他も探して読んでみたい。

ところで、これを読んでいて、少し前に会社の診療所の先生と飲んでいたときのことを思い出した。彼は結婚が遅かったのか、ミドルにさしかかった年齢ではじめての子を授かったとのこと。スマートで、なかなかに男前で、クールな雰囲気を漂わせる素敵な先生が育児にあくせくするなどとは誰も想像だにしていなかった。その先生が、水割りを傾けながら一言「俺、家じゃあ、『おむつ替えマシーン』って呼ばれてるんだよ」と言ったものだから、たまらない。その日以来先生のことは「おむつ替えマシーン」としか思えなくて、顔を見ると笑いそうになる。よかった、先生がわたしの担当医じゃなくて。にしても、かように人を変えてしまう「子」とはなんと恐ろしいものだろう。