メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

児童文学に伴う妄想(主として食方面)

にんじん (岩波文庫)

にんじん (岩波文庫)

「子どもの頃、ケストナーの小説に『胡椒菓子』って出てきて不思議だったじゃない。あれ、なんのことだったか知ってる?」と姉が訊く。知らない、と答えると姉は「ジンジャーブレッド」と言って笑った。現代の感覚で言えば突飛な訳に思えるが、日本に存在しない菓子の名前を、当時はずいぶん苦心して訳したのだろうと想像する。

ちょうどその話をした数時間後、ジュンク堂書店でおこなわれた豊崎由美さんと岸本佐知子さんのトークイベントで、「ジンジャーブレッド」の話題が出た。最初に読んだ海外の小説は何か、という問いに岸本さんは「ルナールの『にんじん』」と答えた。そして、「なにもかも、場所も風俗も、出てくる言葉もわからない、そのわからなさが面白かった」という発言をきっかけに「ジンジャーブレッド」へと話が移った。

はじめてその単語を目にしたときには何のことやらわからなかった「ジンジャーブレッド」の現物を最初に目にしたのは、わたしの場合、まだかろうじて子どもの範疇に入る頃だったように記憶している。しかし、本日対談をされているお二人にしろ、その後話題に上る川上弘美さんにしろ、わたしよりさらにひと世代上の方なので、子ども時代に「ジンジャーブレッド」が何であるか知ることはほぼ不可能だったと思う。川上弘美さんの「ジンジャーブレッド」にまつわるお話は、これはわたしも何かで読んだのだが、「ジンジャーブレッド」に憧れるあまり、想像だけでそれを作ってしまった、という逸話である。純然たる日本人である川上さんは「ジンジャー=しょうが」「ブレッド=パン」という語感だけをヒントに、食パンに紅ショウガを挟むという、なんとも大胆な暴挙にでたのだという。当然まずいに決まっている。この一件に対して岸本さんは「なまじ、ジンジャーとブレッドっていう単語だけは意味がわかっちゃうぶん、たちが悪かったんでしょうね」と苦笑されていた。確かに。

今日のイベントは、メモもとらないことにして、くつろいで聞き流す。岸本さんのお話をはじめて聞けたのはとても嬉しかったし、書かれるものよりはずいぶん普通の、でもやっぱり端々に面白い物言いをされる、素敵な方だった。子どもの頃から読み重ねている岩波版「にんじん」の表紙にうっすらと「だいこん」と鉛筆で書き足して消した跡があることに気づいた、というお話には会場中が笑いで沸き返った。

私事になるが、岸本さんが「にんじん」の一部を朗読されるのを聞いて、ふっと思った。わたしが、しばらく離れていた海外文学に再び興味を持つきっかけになったアゴタ・クリストフの「悪童日記」の持つ陰惨さ、強靭さ、クールさのすべてが、子どもの頃繰り返し繰り返し読んだ「にんじん」とよく似ているということだった。これらはそういえば、読書原体験である「グリム童話集」の一部にも共通する要素だ。三つ子の魂百まで。結局ひとの好むものなんてそうそう変わらない。