メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

おとうさんもかなしい

夜が更けてくると、会社の廊下の隅に代わる代わる背中を丸めた人影が現れる。壁に向かって小さくなって、携帯電話に向けられるのは、仕事中には決して聞くことのできない声色だ。「そうなんだ、泣かなかったんだ。がまんしたんだ、えらかったねえ」、電話回線の向こうの幼子に向かい、名残惜しくてなかなか電話を切ることができないのだろう。彼の横を通り過ぎたわたしがお手洗いに行き、戻るときもまだ「うん、えらかったね、泣かなかったんだね」と繰り返している。彼が今晩帰り着いたとき、子どもは寝ているだろう。そして彼は明日の朝、子どもが寝ているうちに家を出るのかもしれない。もしかしたら今晩は帰れないかもしれない。

従姉妹が幼い時分、叔父はアルジェリアに赴任していた。従姉妹が4歳になったころ日本に戻った叔父は、愛娘が妻にこう訊ねるのを聞いた。「ねえ、ママ。毎日知らないおじちゃんが一緒に寝てるのに、ママ、怖くないの?」、今でこそ笑い話だけれど、叔父はこのときのショックを一生忘れないだろうと言う。

わたしの父も、あまり家にいることのない仕事をしていた。単身赴任こそわたしや姉が大きくなってからだったが、同じ家にいても、宿直以外の日もほぼ必ず呼び出しがかかる。一度帰宅して、食事、入浴のあと寝床には行かず居間で仮眠をしていると、夜中には必ず電話が鳴った。わたしはそれを普通だと思って育った。常に待機させられ、家族で遠出する場合父だけ家に残ることも普通だと思っていた。半年に一度、目の手術をした姉の定期診断のときだけ父は遠出の許可を貰い、家族全員で朝早くから車に乗って、隣の県の大学病院へ出かけて行った。毛布にくるまって、星を見ながら車に揺られて、ちょうど阿蘇カルデラを走っているときに運がいいと雲海が朝陽に照らされるのを見ることができる、あれはすごく特別なイベントだった。

家には学研の5冊組学習図鑑があって、「動物」「植物」「鳥」「昆虫」「魚」のうち、わたしはとりわけ「魚」の巻がお気に入りだった。なぜ魚がそんなに好きだったのかと考えていると、父の膝に座って魚のイラストを指さしていた記憶がよみがえる。父は魚釣りが好きで、わたしが図を指し示すと、その魚について話してくれた。他にも、父と共通の話題が欲しくて野球のルールを覚えたし、SF映画を観るようにもなった。寂しかったわけではないし、とりわけお父さんっ子だったわけでもないけれど、普段家を空けがちで、しかも女ばかりの家庭で父が疎外感を味わっているのではないかと、子どもなりに気を遣っていたのではないかと思う。

ちなみに「魚図鑑」では深海魚とともに「マグロ」をことさら気に入っていたわたし。ええ、マグロのお刺身が好物だったんです。どのくらい好きかって、祖母に「あーちゃん、マグロだよ」と差し出されたブリの刺身を「このマグロ、おいしいねー」と喜んで頬張るくらいマグロが好きだったんです