メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ポー川のひかり

物語は、大学図書館の守衛があわてふためくところからはじまる。夏期休暇初日の朝、出勤した彼は歴史図書館の扉を開けるなり腰を抜かさんばかりに仰天し、階段を駆け下りる。大学当局に電話するも責任者がつかまらず、続いて警察へ連絡。駆けつけた警官は「助けて! ひどいんです!」と錯乱している守衛の姿に、死体でも転がっているのかと図書館へ向かい、言葉を失う。広い図書館の床や机は「本の惨殺死体」で埋め尽くされていた。歴史ある本が、極太の鉄くぎで打ち付けられている姿はまるで礫刑にされたイエス・キリストさながら。事件の犯人として疑われたのは、本を愛し将来を嘱望されている若き哲学教授だったが、すでに大学から姿を消していた彼は、ほぼすべての持ち物を始末した上で、ポー川のほとりにある古い家の残骸のなかで暮らすようになる。

書物とその知識を愛してきた男が、それらを捨て、人々との素朴な交流を求めるというストーリーと結末については、観終わった後も複雑な思いにとらわれてしまった。素朴な人々が教授を「キリストさん」と呼び慕うようになる理由のひとつには、彼のなかに、田舎の人々にはない知性や教養を見いだしたからであることは間違いない。単純に書物や知性といったものを否定しているというよりは、それらをただ象牙の塔に閉じ込めておくのではなく、人の交わりのなかに還元してこそ意味がある、というような受け止め方をすればそれなりの救いは得られるような気がするんだけど。

映像としては、一面に広がる本の惨殺シーンから、ポー川の情景、そこで暮らす田舎の人々の姿など、とても美しくて、ダンスシーンのアコーディオン演奏も素敵。割と淡々とした映画だからなのか、半分と少し埋まった岩波ホールでは眠ってしまっているひともちらほら。

わたしの目の前のご夫婦、奥さんが眠ってしまい、その様子を気にして起こそうとする旦那さんと、少しの間起きてはまた眠ってしまう奥さんの攻防にはついつい注目してしまった。そして、角の方には豪快に眠っている男性一人客。寝息が聴こえるくらいでほとんど迷惑にはならなかったのだけども、一度だけ、睡眠時無呼吸症候群とおぼしき、大きく喉を詰まらせるような派手ないびきが劇場内に鳴り響いたときは、思わずみんな吹き出して、劇場内に穏やかな連帯のようなものが生まれた。そういうのもなんかいいなあ、と思った映画でした。