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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

声の大きいひとと声の小さいひとのことを考える。

よしなし

政権交代と言えば夢があるようだけども、背後に見える利益団体の顔が変わっただけ、といえばそれまで。経団連や農協の姿がそこから消え、労働組合同和団体、市民活動家がやってきた。医師会は上手く流れに乗ったっぽい。それが政党政治というものだし、悪いことだとはちっとも思わない。しかし、児童擁護に関する話を聞いてなんともやるせない気分になってしまったのも事実。

資金も不足し、政治的にも重要視されず、人材の質低下による施設内でのシステムの崩壊等、今児童養護の現場はひどい状況になっているらしい。

民間企業は当然、利益を上げるために存在しているので、利潤のでないことはやらない。民間がやらないような割の悪い事業を受け付けるのはどこかといえば、公である。しかし限られた財源がどう振り分けられるのかといえば、結局は声の大きい側や、票になる側が重視される。そこに何らかの金のにおいや票のにおい、それにつながるドラマティックな要素があれば、誰かが聞きつけて、焚き付けて、拡声器と演壇をお膳立てしてくれるのが今の世だといってもいいくらいかもしれない。例えば直接的な利益を受ける人間が非常に少ないケースや、多少訴えの内容に疑問が残るようなケースであっても、大きな声を出せば誰かが同情してくれる。もちろんそれも、間違ってはいない。彼らだって苦しんでいるし、援助を必要としている。けれど、何の利益にもつながらない、一票にもならない人々、例えば親を失った子どもたちの声は、誰が拾うんだろう?

老人医療や介護の問題は、誰でもいずれは年を取ること、実際目の前にある高齢化社会への危機感から人々が投票行動の基準にそれらを持ってくるようになったこと、医療費や介護保険というお金が絡んでいることもあって、ずいぶん大きく取り上げられるようになった。でも、選挙権もない、ほとんどの人にとっては無関係である不幸な子どもたちはどうだろう。

産んではそのたび「育てられないから」と子どもを養護施設へ預け、素知らぬ顔をする親がいるのだという。避妊という選択肢はないのか、何人も何人も、産んでは捨てる。住民票だけ親元にある場合、定額給付金なんかも、子ども本人の元には一銭も渡されない例が多かったという。復活させる母子加算、新設される子ども手当、これらが本当に必要とされている人に届き、正しい用途で使われるのかはまったくもって不安だ。ローン返済ならまだしも、親のギャンブルや酒、遊興費に消えるケースも少なくないんじゃないだろうか? 今までの児童手当には事業主の拠出金が財源の一部に用いられていたはずだけども、子ども手当は全額が国庫負担になるんだろうか? いたずらに現金をばらまくよりも、もっと必要なことがあるんじゃないだろうか。イギリスの母子家庭支援が招いたモラルハザードについて、見聞きすると背中が寒くなる。

じゃあこんなこと考えて書いてるだけで何ができる、実際何もしていない、と言ってしまえばそこまでで、本当にいろいろなことを考えれば考えただけしんどくなる。わたしたちは頭でっかちなだけで現実の世界はろくに知らなくて、育ってくる過程で階層化されてきて自分のいる層が恵まれていると思ったこともない、当たり前の普通だと思っている。すごく哀しくても哀しむだけで、これはもしかしたら哀しいふりなのかもしれない。本当にやるせないね、無力だね、と話しながら友達と新宿を歩いた。

わたしが関わるのは児童養護ではないけども、現場で人と向き合い声を聞きながら仕事をしていたときはまだもう少し、目の前のひとりの助けにでもなれれば、それを手応えだと思えていた。「鳥の目」で仕事をしなければいけない今は、スケールは多少大きくなったけれど、何もかもが雲をつかむみたいで、自分が誰のために何をしているのかわからなくなってしまいそうでときどきすごく不安になる。今日で5連休がおしまい。足下をしっかり踏みしめて、明日からまた、手の届く範囲のことからしっかりやっていこう。結局できることなんてそれしかないんだよね。