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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

われら|エヴゲーニイ・ザミャーチン

われら (岩波文庫)

われら (岩波文庫)

ハックスリー「素晴らしい新世界」、オーウェル「1984年」と、続けざまにディストピア小説を読んだ、という話をしたら、友人が貸してくれた。「われら」には、既に読んだ2冊と比べ決定的に異なっている部分があって、それは、ロシア人(というかソビエト人)によって書かれた小説だという点だ。ディストピア小説というのは基本的に、全体主義共産主義にネガティブなデフォルメを加えたかたちをとるけれど、「自由主義の国の人間が描くユートピア」と、「実際に全体主義社会に身を置く者が描くユートピア」というのはやはりなんとなく趣が違い面白かった。

「われら」の社会では、ディストピア小説の常道といっていい「統制」「密告」「制裁/処刑」などはおこなわれているが、前述の2冊に比べれば圧倒的に「ゆるい」印象を受ける。人が人をかばうことも少なくないし、当局に隠れてものごとをおこなうのも、そこまで難しくはなさそうだが、それは、「われら」の社会は「強制」というよりむしろ「進化」に近いかたちで全体主義的な構造を持つに至ったからなのかもしれない。彼らの多くは、教え込まれた思考パターンのためでも、教育のためでもなくごく自然に全体主義になじんでいる。個別の人間が自我を強く持つことが争いを生む。社会全体をひとつの有機体と考え、個々人はその細胞である、という考えは、彼らが長い戦争を経て、争いを避けようとするがために「進化」した結果生まれた新たな本能であるともいえる。この社会の人間は皆「アルファベット1文字(女は母音、男は子音)+3桁の数字」で識別されるという設定だけども、そのアルファベットのかたちが、それを名に持つ人間の身体的特徴すら表してしまうというのも、ユニークかつ薄ら寒い設定。しかし、やっぱりディストピア小説の読後は重い。微かにでも希望が感じられたのって、「華氏451度」くらいのものなのかな。

ちなみにこれと同時に貸してもらったシンクレアの「ジャングル」がいろんな意味でものすごい。あともう少しで読み終わっちゃうのがもったいない気分です。