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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

メトロガール、霧島アートの森へ行く(後編)

よしなし アートとかエンタメとか 旅のはなし


栗野駅に着いたときは横殴りの暴風雨。しかも前述のとおり、わたしは傘を持っていない。「降りはじめたら買えばいい」というのがどれだけ甘い考えだったか、栗野駅は小さな、何もない駅だった。キオスクも、コンビニも。霧島アートの森を通るコミュニティバスは休日には一日2本。時間的に折り合わないので、もともとタクシーを使うつもりでいたので、駅前に一台だけ止まっていた窓を叩き、乗り込む。「途中で、ビニール傘を買えるところに寄って欲しいんですけど」と頼むと、運転手さんは「小さい街だからね、太陽さんしかないの」と言った。太陽さん? はたしてそれは店名で、すぐ向かいにファミリーマートを見つけたわたしをよそに、おじさんは、地元では万能のスーパーマーケットである(らしき)「太陽」の駐車場に車を入れる。幸い傘を手に入れることができ、さらに20分ほど山道をのぼり、目指す霧島アートの森にたどり着いた。



特別展開催中ということで、屋内はすべて鴻池さんの展示、常設展は庭園の彫刻類だけである。チケット売り場で「けっこう降ってますけど、外の展示って観られます?」と訊くと、反応が芳しくないので、とりあえず特別展の券だけを買う。この時点で雨が激しく降っていたので、イベントは中止なのだと決めつけて、展示室にいったん入る。しかし、もしかしたらキャンセルの受付か何かが必要だったのではないかと思い返し、もぎりの女性に声をかけた。

「あのう、11時のイベント申し込んでたんですけど、雨が降っているから中止ですよね。キャンセル手続き、あるんですか?」。女性は「え? 中止?」と首を傾げ、確認のため席を立つ。すぐに、彼女と一緒に戻ってきたのは、上下雨合羽を着込み、ゴム長靴を履いた男性だった。そして、言った。「やりますよ、作家がやる気出しちゃって。雨なんで、行ける方だけで行きます。どうなさいますか?」、バイタリティあふれる作家に振り回される風な口調で、でもなんだか嬉しそうだ。そうするとこちらも断然やる気になってくる。「行きます」と言って、いったん展示室を後にした。

とはいえ雨。ロッカーにバッグを入れ、100円で買った頼りないポンチョを被った。スタンバイしているスタッフさんたちは、皆、上着とズボンが別々になったタイプの合羽を着ているので、自分の軽装が不安になる。すると、先ほどの男性がやってきて、合羽のズボンを差し出す。「これ、着ませんか? 皆着てますから」。ありがたく受け取って、ジーンズの上から履いた。わたしはかなり早い時間に受付を済ませ、待機場所にいたので運良く合羽のズボンをお借りできたようで、これはすごくラッキーだった。あれがなければ、ジーンズも足下もきっと、ずぶ濡れだっただろう。

スタート時間が近づき、激しい雨にも関わらず参加者は予定通り「12匹」集まった。そして、雨のにおいにむしろ嬉しそうな鴻池朋子さん、カメラマンをはじめとする鴻池さんのスタッフ、あとは美術館のスタッフ。先ほど合羽を貸してくださったのが副館長さんであることをこのとき知る。

「むしろ、雨の中歩くなんてめったにできないから、今日はラッキーですよ」とはしゃぐ鴻池さんと、「足下は滑るので、斜面は危険です。周囲の木などしっかりつかんで歩いてください。ただし、掴んだ木が腐っている場合があり、それはそれで危険です」と、どう対処したらよいのだかわからなくなるアドバイスをくれる副館長のY氏。カメラを持って行くことは問題ないようだが「撮る余裕はあまりないと思います」と釘を刺された。森に入るまではさしてもいいから、と言われビニール傘を片手に持つ。ほとんど閉じたままでいたけれど、結果的に傘を持って行ったのは大正解。なぜなら、杖になったから。

遊歩道を抜け、ちょっとした茂み、森へ立ち入らないために張られた縄製の柵をくぐりぬければそこはもう完全にケモノ道。道自体は何度も試しに歩き、できるだけ枝などは払ってあるそうだったが、それにしても、落ち葉は大量で濡れているし、雨のせいで足下もぬかるんでいる。斜面を一歩進むたびにずるずると滑り、ともすれば転倒しそうになるので、周囲の草木を掴み、反対の手で傘を地面に差し込む。最初のうちこそフードを深く被って雨を凌ごうとしていたが、そのうち顔も髪も濡れて、どうでもよくなってくる。普段、雨に打たれて歩くこともそうないな、と思うと濡れることすら楽しくなってくる。

カメラを取り出せたのは、まだ平坦な場所。しかもこういうときに限ってレンズフードを忘れてきて、取り出したカメラはすぐにレンズが雨粒だらけになってしまう。けっきょくほとんど写真は撮れなかった。

斜面を下っていくと、ごうごうと水の流れる音が聞こえてくる。地図上でも水なし川だと書かれている枯れ川が、この雨で「水あり川」になっているのだ。本当ならば水なし川を越える予定だったが、さすがにコース変更。「ここ、水が流れているの見たことあります?」と、鴻池さんは嬉しそうに、森の達人である学芸員さんに訊ねる。美術館のスタッフですらこのあたりまで立ち入ることはあまりないのだという。とりわけ荒天の日は。学芸員さんも、川が流れるのははじめて見たのだと言っていた。

さらに進む。ところどころで生えている木や森に棲む生き物について、美術館のスタッフが説明をしてくれる。「人間もね、もともとは夜行性なんです。社会生活のためにがんばって起きているだけで。だから、皆さん夜更かしすきでしょう?」「ここには鹿もいるんですよ」、さらには皆でアナグマの巣を覗きに行く。木の根元に掘られた穴はとても立派で、数日前ここを覗き込んだ鴻池さんは、熊の目が光っているのを見つけたのだという。



約一時間にわたる、楽しい森の冒険の後、本来ならば木の下で茶話会の予定だったのだけども、さすがにこの天気では無理。館内に戻って、おにぎりとお茶をいただきながら鴻池さんと学芸員さんのお話を聞いた。霧島での展覧会が開かれたきっかけ、森の中に展示をすること、そして森を歩くこと。綺麗な芝生の上にある立体作品を見ているだけでは、確かにそれは美しいけどあまり面白くないし、そもそも「森」じゃない。だから、「森」に入っていこうとしたのだという話など、とても興味深かったし、そういう発想を持ち、真夜中に森の中で自ら穴を掘ってしまう鴻池さんのことを、とても素敵だと思った。

午後は、のんびり室内展示を鑑賞。基本的にはオペラシティと同じメニューであるけれど、展示方法が違うだけで、ずいぶん受ける印象も違う。配列、絵の描かれたふすまが開いているか閉じているか、天井の高さ、スクリーンのかたちや大きさ。そういったものの際で、こんなにも世界が変わるものかと驚きながら回った。

この日の収穫としては、作品を観ること以上に、雨の中森を歩く体験、そしてひととの出会いが大きかった。副館長のYさんには、雨合羽の件でお気遣いいただいただけではなく、楽しいお話もたくさん聴かせていただいた。公立の美術館とは思えない、新しいこと、面白いことをなんでもやってやろうという態度、志の高さには、心底感動した。「なんでもやりますよ、県からストップがかかるまで、どんどん」そうおっしゃるYさんは楽しそうで自信に満ちていて、例えば公立の美術館ではじめて、パフォーマンスアートを取り扱ったのも、ここ霧島アートの森だったらしい。そして、一緒にオオカミロードを歩いた鹿児島市内の方が、なんと帰り、車で送ってくださることに。電車の本数は少ないし、駅までタクシー代もバカにならないところ、本当にありがたかった。一緒に車に乗せていただいた大学生のお嬢さん方とともに、Yさんと鴻池さんお勧めの「枕木階段」を登り絶景を堪能(この頃になると空は晴れはじめた)することもできた。






まさかこんな親切を受けるとも思ってはいなくて、旅っていいなあ、鹿児島の人って温かいなあ、幸せを噛み締めた一日でした。また鹿児島行きたいなー。次は島も行ってみたい。

ちなみにイベントから4日が経った今日、ミーティングから戻り携帯電話を見ると、霧島アートの森の電話番号から不在着信と留守電。忘れ物でもしたっけ、と思いながら再生してみると、わざわざ副館長のYさんが「1日は雨の中ありがとうございました。お風邪などひいていませんか?」とメッセージを残してくれていたのである。仕事中一服の清涼剤。客商売、というより人ってこうあるべきだなあと、Yさんの心遣いには頭が下がる。思えば出発前日に天候のことを心配して電話をくださったのもYさんだったんだろう。今週末は、Yさんと、車に乗せていただいたIさんにお礼状を書こうと思う。必ず。