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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

「ゴリい」は夢か幻か

よしなし

瞬時に情報が伝播するようになった今でも、流行の広がりには幾分時間がかかるし、好まれるファッションも全国均一とはいえない。地方で高校生くらいの子たちを観察すると、なんとなくその地域なりの独自の流行のようなものが存在しているのを感じる。東京でも「街」によって色があり、そこに集まる人たちは共通の記号を身にまとっている。でもそれは、人が街を選んだ結果だ。自分がその街の色に合っている、もしくは染まりたいから、渋谷を選んだり、下北沢を選んだり、銀座を選んだりする。一方地方都市だと、まず街というどうしようもない枠組みがあって、その中で自然発生的に統一的な何かが生まれているように思える。

わたしは大分県大分市という、ザ・地方都市と言っていいような田舎の街で育った。テレビのチャンネル数は少なかったし、雑誌の発売日は東京より二日ばかり遅れていたけれど、それでも情報としては一応、他の都市と同じものが与えられているはずだった。とはいえ「日本の中心」から遠くにいる少年少女は、おそるおそる都会の流行を取り入れる。スチュワーデスを「スッチー」と呼ぶことも、くしゅくしゅのゴムを抜いた靴下を履くことも、「彼氏」のアクセントの語尾を上げることも、男の子がパンツを半分さらけ出しながらズボンを腰で履くこともすべて、マスコミが全国津々浦々に染み渡らせて「これが今の若い子には当たり前なんだよ」という裏付けを与えてくれた頃に市民権を得る。当然、都会の少女たちがずるずるした靴下に飽きて紺のハイソックスを履くようになってもまだしばらく、大分の女の子たちはゴム抜きスーパールーズを履き続ける。

そんなふうにおそるおそる都会の流行についていく一方で、他の地域からはまったく理解されない流行もあった。中でも印象深いのが「タオラー」だ。ちょうどわたしが高校生の頃、大分の女子高生のあいだで起きたのが「タオラー現象」で、要するに女子高生たちが、おっさんのようにタオルを首にかけて街を闊歩するのだ。しかも、そのタオルはスポーツタオルやブランドタオルや、キャラクターものではいけない。新聞屋やガス屋が配っているような、あの安っぽい、ぺらぺらの白タオルが、タオラーたちのヒエラルキーでは最上位に位置した。当時大分の市街地は、ゴム抜きルーズを履いて、パンツが見えそうなほど制服のスカートを短くして、首にタオルをかけたシュールな女子高生で溢れていた。この珍妙な現象はさすがにマスコミの目にも留まり、全国版のテレビで「タオラー」が紹介されたことすらあった。当時わたしは、まったくかわいくない斜に構えた女子高生だったので、タオルを首に巻くこともゴム抜きのソックスを履くこともなかった。*1

タオラーになることなく高校生活を終えたわたしだが、大学に入ってあるひとつのカルチャーショックを受けた。中高生時代にごく普通に使っていた「ゴリい」という単語についてである。当時、大分の(わたしのいた地域だけだったらすみません)中高生は、男子生徒にこの「ゴリい」という形容詞を多用した。これは、単純に「ゴリラ」を形容詞化したもので、体育会系の、筋肉質で、顔立ちもやや類人猿じみた男子生徒を指すのに使われた。「あの先輩ゴリいよね」「あたし、ゴリい人好みじゃないもん」等々。あくまで「ゴリラ」が語源なので、モンキータイプの外見は該当しない……と、考えはじめればけっこう厳格な区分けがあるのだが、そこでは男の子も女の子も「ゴリい」という言葉の持つニュアンスを共有していたので、現実には言葉の意味、許容範囲など深く考えることなく「ゴリい」という単語は日々の会話の中飛び交っていたのである。

遠く離れた場所で、「ゴリい」が一般的な表現ではないと知ったわたしは若干のショックを受けた。新しい友人たちはその語感を面白がるが、いまいちニュアンスを理解しかねている。「芸能人で言えば?」と例示を求めてきたかと思えば、まるで的外れな人を「あの人は?」と指さし、彼が「ゴリい」のかどうか訊ねてくる。とりわけ猿っぽい顔立ちのなかでも類人猿系かモンキー系かで「ゴリ」かったり「ゴリ」くなかったりすることが理解できないようだったが、わたしも頭で考えることなく感覚で判断してきていたので、彼女たちに明確な「ゴリい」人の基準を教えることができず途方に暮れたのを覚えている。

上京から半年も経たないうちにわたしは「ゴリい」という言葉を使わなくなった。そのまま「ゴリい」はわたしの中で死語となり、以来今までその単語を使ったことはないし、かつてならば「ゴリい」という形容をしていたタイプの男性を見ても、その言葉が浮かんでくることはない。高校時代に仲の良かった友人たちは皆大分を離れ、わたしたちは方言を使わずに会話を交わすことが普通になった。もちろん誰も「ゴリい」なんて使わない。

今となっては「ゴリい」という言葉自体がまるで夢のようにも思えてくる。大分の(わたしの育った地域の)中高生は今でも「ゴリい」という単語を使うんだろうか? それとも、あのとき、あの場所、あの世代だけで通じる言葉だったんだろうか。そんなことを考えながらこの文章を書いているうちに、もしかしたら「タオラー」も「ゴリい」も全部わたしの妄想で、あの頃の大分にもそんなもの、存在しなかったんじゃないかという気がしてきて、ちょっと怖くなった。

*1:代わりに髪の毛をくるくるの縦ロールにして、修学旅行にシルバーのヒョウ柄のファーコートを着ていく等の奇行に走っていたので人のことは言えない。キャンディキャンディのような頭で、エメラルドグリーンのジャージを着て微笑む球技大会時の写真はトラウマ度満点である。