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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

同じような(別れの)ことばかり考えている

祖母の夢を見た。わたしは祖母の車いすを押してどこかへ行こうとしていた。夢の中の祖母はとても軽くて、段差では、わたしは祖母ごと車椅子を持ち上げてしまうことができた。

年末年始、施設から外泊許可を貰った祖母と過ごした。ごく短い距離ならば自分で移動するけれど、祖母はほとんど座ったままでぼんやりと中空を眺めている。会話をしていてもときおりとんちんかんな受け答えをするし、こちらの言葉がうまく聞こえないことも多い。本当は車いすを押して初詣に連れて行きたかったのに、風邪を引かせてしまうのが怖くて結局ほとんど連れ出すことなく過ごした。そのことを後悔しているから、あんな夢をみてしまったのかな。「もう80だから」とさかんに口にするのは、心身の衰えは年齢のせいだということを強調したいからなのだろうか。80歳になるにはまだ2年もあるのに。

このあいだ友人が、寝たきりである自身の祖父について「もう、いいよね」という言葉を発したとき、冷たいと感じなかったのは、わたしが、病院で子どものようになった祖父を前にも同じことを思ったからだ。がんの摘出手術の後、足腰が弱ってしまってからも頭だけはしっかりしていた祖父は、排泄のコントロールができなくなると同時に痴呆症状を見せるようになった。サラマーゴの「白の闇」を読んだときにも強く感じたのだけれど、排泄が思うようにならないということは、人間の矜持に強い影響を及ぼす。わたしは今でも、おむつをつけることを余儀なくされた祖父のプライドが、正気を保つことに耐えられなかったのだと確信している。だから、祖父にとってあそこで亡くなったことは幸せだったのだと。しばしば見る祖父の夢は、半年か一年に一度顔を合わせ、居間でのんびりと話をしていたのとなにも変わらない体験だ。わたしと祖父は十分な時間を過ごし、十分な関係を持つことができた。もはや祖父は生きてはいないけど、やはり今もあの場所にいて、わたしは祖父と会話を交わす。祖母ともおそらく同じだろう。

でも、そんな気持ちは全部、少しずつ別れの準備を積み重ねてきたから。

21歳のときに、幼なじみが交通事故で死んだ。事実を理解はしているけども、わたしはまだそのことを受け入れてはいないのだと思う。ときどき彼女の夢を見る。彼女は普通に生きて成長して、そのことを自然に受け止めているわたしは目を覚ますと、落胆ともなんともいえない、からっぽな気持ちになる。祖父の夢を見た後とは明らかに違った感情に苛まれる。友人のひとりは、「公園を歩いている途中に、心臓発作でぱったりと倒れてそのまま死んでしまった」そう年の変わらない先輩のことを考えるたびに、自分にも死が訪れるのではないかと怖くてたまらなくなるのだという。

ずいぶん昔に読んだ「死について考える」の中で、遠藤周作は、父親が死んではじめて「死」というものを現実として意識した、それまでは死と自分との間に父親が立ちはだかっていた、というような趣旨のことを書いていた。

昨年も、いろんなひととお別れをした。親しい人とも、ほんの少し見知った程度の人とも、一方的に好きだった、素敵な本を書いたり映画を作ったり音楽を奏でたりする人たちとも。少しずつわたしも死について考えるようになって、死に対する思いもどんどん変わっていくことだろう。去られる怖さもあるし、去る怖さもある。なんにせよ、生きている人であろうが死んでいるひとであろうが、愛する人は皆、他のどこでもなくわたしの心の中にいる。今は、大切なのはそれだけ。