メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

インビクタス|クリント・イーストウッド

1995年の南アフリカラグビーワールドカップを題材に、スポーツを通じて国をひとつにしようとする当時の大統領ネルソン・マンデラと、マンデラに共感しチームを優勝に導こうとする南アナショナルチームキャプテン、フランソワ・ピナールの姿が中心に描かれている。

ここ最近熱く濃い人間ドラマが続いていたイーストウッド、この作品は内容自体は熱いものの語り口は淡々としていて、作風としてはやや意外。マンデラは確かに強いリーダーシップと意志を発揮するんだけど、冒頭近くのあるシーンを除いては、そこまで派手な見せ場はない。ピナールとの関わりも、もっと密接なものなものをイメージしていたところ、実際深く言葉を交わすのは一度、あとは練習場やフィールドでの激励と手紙だけ。一方のピナールがチームをまとめあげていく様も、若干の反発は描写されているものの意外なくらいあっさり。どんでん返しもなければ、大きな引きもない。なのになぜか120分間はあっという間に過ぎてしまい、泣いて笑ってとても爽快な気持ちになってしまう。劇的なエピソードがないだけに、マンデラがほんの少しのきっかけを与えるだけで、スポーツの持つ力、人の持つ心の力が自然に増幅されて、ばらばらだったものがひとつになっていく。その不思議な集約力を描いているところが、この映画のすごいところだと思う。

もちろん、モーガン・フリーマンの演技は素晴らしく、笑い方や身のこなしなんかも相当研究したんだろうなーと感心。マット・デイモンもよかった。しかしなんといってもわたしの心をとらえたのは、マンデラ大統領の身辺警護を務める黒人男性ジェイソン。彼は白人に対して非常に強い敵対心を持っていて、マンデラがSPに白人警官を加えたことにも内心不満を持っている。そして、白人のスポーツであるラグビーのことも嫌っている。マンデラの指示のもと嫌々白人と仕事をし、ラグビーの試合に足を運ぶジェイソンは徐々に白人SPに信頼をおき、代表チームに入れ込むようになるのだけども、その気持ちをまったく素直に表さず、このツンデレっぷりが非常に微笑ましい。彼と、ピナール家の家政婦女性の描写は全編に渡ってあたたかさとちょっとしたユーモアを振りまいてくれた。

ラグビー教室で子どもたちが、最初は黒人選手にばかり群がっているのに、最後は他の選手たちにも懐いて、とても楽しそうにラグビーをするシーンや、SPたちのラグビーごっこのシーンにはどうしたって泣けてしまう。スポーツの国際大会をうまくつかって国をひとつにする、そしてそれを国際的にアピールするというのはけっこう打算的であざとい方法ではあるんだけど、そういう政治家としてのマンデラの計算高さと、それだけではない純粋でまっすぐな熱意、家庭人としての不器用さと孤独なんかもまんべんなく盛り込まれているのもよかった。

わたしは全然ラグビーには関心がなかったので、この映画ではじめてNZ代表チームであるオールブラックスが試合前にハカ(マオリ族の伝統的な戦意を鼓舞する踊り)を踊ることを知った。これがものすごく格好良くて、帰宅してYouTubeで本物のオールブラックスのハカを検索し、観倒してしまった。南アフリカアパルトヘイトの歴史があるように、NZにも白人による侵略の歴史があった。どちらかといえば穏便なやり方ではあったものの、血は流れている。そのNZ代表チームが試合前にハカを踊るということは、とても素晴らしくて意味があることのように思えた。決勝戦の場面は、試合内容も、飛行機も、タクシー運転手と子どものやりとりも、なにもかも隈なく素敵だったなー。

映画に限った話ではないけれど、作る側の人間が高齢になってくるとどうしても、あと何度この人の新作にまみえることができるんだろう、ということがちらちら頭をかすめる。イーストウッドはもちろん、モーガン・フリーマンだってもう70代。変な感傷のせいで作品そのものに対して先入観を持つつもりはなくて、でも「イーストウッドの新作をわくわくしながら劇場で観る」という体験それ自体を大切にしたいな。