メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

抱擁のかけら|ペドロ・アルモドバル

観るたびに期待を裏切らないアルモドバル。女性讃歌3部作も観るたびに「これが最高傑作かも」と思っていて、でもこれも負けず劣らずいい作品でした。ペネロペはきれいで演技も良い、すばらしい女優さんだけど、アルモドバル映画での輝きはひと際。その中でも「抱擁のかけら」のペネロペは、本当に本当に素敵だった。

すごくせつない、ダークな作品の中にも飄々と笑いを仕込んでくるのはアルモドバルの好きなところで、「トーク・トゥー・ハー」では、普通なら笑いを入れる余地のない重い話の中に、巨大女性器人形の劇中劇を入れるという離れ業。大傑作「ボルベール」では、幽霊として出てきた母親に必死にロシア人のおばさんのふりをさせるという面白シーンが印象的だった。今作も、心臓がちぎれるような愛憎劇のなか、大富豪エルネストが愛人レナの裏切りにきりきりさせられるシーンはものすごくユーモラスに撮られていたし、そもそもエルネストJr.の若い頃の風貌自体がふざけてて、出てきた瞬間吹き出してしまった。劇中劇(主人公マテオが、ヒロインレナを主演に撮影している映画「謎の鞄と女たち」)は、アルモドバルの「神経衰弱ぎりぎりの女たち」のユーモラスなシーンばかりをペネロペ主演でリメイクしたような作品で、これは観ていても楽しいし、楽しんで作られている感じがしてとても良かった。

家族。恋人。愛情。故郷。アルモドバルの映画では「失われたもの」が描かれる。かつて失った愛、これから先失ってゆく愛、かつて手に入れることのできなかった愛、これから先も手に入れることのできない愛。けれど、あらゆる喪失の渦の中で途方にくれ、最後に「それでも決して失われないもの」がそこにはある。美しい画面や、天才的としかいえない色彩感覚なんかも好きだけど、わたしはアルモドバルの楽観主義者というか性善説というか、愛と生きる力を信じているところに何より魅力を感じているんだと思う。

映画監督とミューズといえば、ゴダールアンナ・カリーナ、カラックスとビノシュあたりがまず思い浮かぶ。彼らは監督とミューズであり、恋人同士でもあった。蜜月に作られた作品はどれもきらきらまぶしい、奇跡のような輝きに満ちている。そして、彼らは破局する。アルモドバルとペネロペの場合、恋愛関係に陥ることは決してない(であろう)という意味で、ゴダールやカラックスとは違っている。彼のミューズを性愛の対象として観ることのできないアルモドバルが、もし自身がペネロペを愛せたならば、と、合わせ鏡の分身のようなかたちで作り出したのがマテオだったりして、なんてことをちょっとだけ考えてしまった。