メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

父と会う

10日ほど前のこと、めったに電話をかけてこない父がわたしの携帯電話を鳴らした。「20日に出張でそっちに行くから夕食でも食べよう」と言う。父はこの3月に定年退職し、春から再就職先で仕事をしている。再就職なのに東京出張なんてあるんだねえと話しながら「多分大丈夫だけど、仕事の都合ですごく遅くなったり、会えなくなったりすることもあるから確約はできない」と伝えると、「もしそうだったら仕方ないね」と残念そうだった。わたしは高校を卒業して以来父と暮らしたことはないし、それ以前にしたって単身赴任が多かったから、そういえばもう、父と一緒に暮らしていた時間よりも離れて暮らす時間のほうが長くなってしまっている。

幸いというかめずらしくというか、18時半すぎに拘束を解かれたので、父が宿泊しているホテルへ急いだ。退職祝いに夫婦でのハワイ旅行かなにかをプレゼントするつもりで話しているのになかなか旅行に出かける暇がないのだという。まだ何のお祝いもしていないので今日くらいはわたしが食事をごちそうしようと、お金をおろしておいた。父は四つ足動物の肉が食べられないし、お酒も飲めないので、外食できる店が限られる。確か天ぷらが好きだったから、天ぷら屋さんにでも行こうと決める。

半年ぶりにあった父は嬉しそうで、めずらしく「何食べる」と聞きもせずずんずん歩く。どうやら会議が終わって、ホテルに戻って、暇なのでわたしを連れて行く店を物色してたらしい。「天ぷら屋さんがあったよ、パパ好きでしょう」と言っても「天ぷらなんかいいから」と、結局カジュアルなイタリアンレストランに入った。いかにもあの年頃の男親らしい気遣いと先入観で、父は「女の子はパスタかピザが大好き」と信じ込み、二人で食事するときはいつもイタリアンレストランを選ぶ。入った後で、メニューを見て「ごめん、ちょっと安かったね」とさらに妙な気を遣い、結局お会計も頑として譲らなかった。せめても食後にわたしがコーヒーをおごり、まだまだ早い時間なのに「毎日遅くて疲れているだろうから」と解散。なんだかこちらが申し訳なくなってしまう。

父が60歳になる、ということが昔は想像もできなかった。髪を染めることを止めたのはいつだったか、真っ白な髪をみて近所の子どもに「じいじ」と呼ばれ笑っていた。改めてまじまじと顔を見ると、こんなに目尻が下がっていたっけ、と驚くくらい人相もかわってきて、しわも増えた。東京と九州で遠く離れて暮らし、これからわたしは両親の老いとどう付き合ってゆくんだろうか。同郷の友人たちと会うときも、最近はそんな話ばかりしている。高校生の頃はわたしたち、こんな話するようになるなんて想像もしてなかったよねえと言いながら。実家で両親と同居する姉は、自分は一生独身で過ごすのだと決めつけている感があって、だからこそわたしは心配になる。そもそもわたしは、姉にすべての責任を押し付けて、ひとりで面白可笑しく暮らして、こんなのはとてもずるいことなのではないか。今は仲のいい姉とわたしだけど、いつか姉は、わたしの自由のために犠牲になったのだということに気づいてしまうのではないか。

姉はわたしよりずっと情が深く優しく、何事にも真面目で一生懸命なのに、不器用で感情の起伏が激しいからなかなかそれを評価されない。わたしはちゃらんぽらんで無責任だけど、わかってるふりや優しいふりをするのが得意で滅多に怒らないから得をしてきた。でも姉は不満をずけずけ口にする代わりに、逃げない。わたしは黙ってものわかりのいい振りをして、がまんできなくなって逃げる。幼い頃から、作文で賞をもらったり、学校でいい成績をとったり、耳障りのいい言葉をかけて祖父を喜ばせるのはいつもわたしだった。でも、最後、がりがりに痩せて正気を失った祖父に、わたしは声をかけることはできても、触れることができなかった。スプーンで食事を口元に運び、床ずれができないよう小さな体を抱え方向転換させる姉を見たとき、わたしはどうしようもなく自分のことを情けなく思って、姉に恐怖に近い尊敬の気持ちを抱いた。

まだまだ元気だからなどと現実に甘えることなく、本格的に少しずつ姉と、両親の老後については話をしていかなきゃいけないと思いながら帰った。家族と会うたびに、嬉しい気持ちと楽しい気持ちをもらって、それと同時にもの凄い不安と怖さを感じる。この気持ちをを受け入れていかなきゃいけないんだよね。少しずつ。