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メトロガール

あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?

ずっと感じたかった僕ら

そのときは名前を意識してはいなかったけれど、最初に音に触れたときわたしはまだランドセルを背負っていた。そしてそのバンドの構成要素であるふたりのミュージシャンの作る音……とりわけ小沢健二という人のメロディやことばとその後どれほど長い間寄り添っていくのかなんて、ちらりとも考えるはずもなかった。だって今もまだ、わからない。今も親しくしている中でもっとも長い付き合いである友人よりも、彼の音楽とは長く付き合ってきた。おおむね20年間。わたしの人生の3分の2。褪せることなく、今も年に何度も衝動的に、取り出してはしばらくむさぼるように聴く。これからも多分。

20年のあいだにわたしはランドセルを背負った小学生から30代の大人になって、たくさんの人と出会ったりはなればなれになったりした。恋に落ちたり、恋に破れたりした。彼の音楽がきっかけになることは一度もないのに、なぜか恋をする相手が「小沢健二好き」であることがとても多く、そういった意味でもどんどんいろいろな思い出が積み重なり、メロディや歌詞の持つ意味も重くなった。

長いブランクをあけての突然のツアー発表、チケット争奪戦は案の定熾烈を極め、ほとんどあきらめていた中追加公演であるNHKホールのチケットがふっと手に入った。嬉しかったけど、あまり期待はしていなかった。今日の今日までツアーの情報や人様の感想などを遮断してきたのは、羨ましくなっちゃうから、というのもあるけどやっぱり怖かったんだと思う。メディアへの過剰な露出と、キャラを作っての演出からその後の音楽性の変化、アメリカ行き、EMIとの契約問題、過去の音源の取り扱い諸々の紆余曲折を見てきて、今の小沢くんがどうなって、どんな音楽をやって、どんなふうにかつてのリスナーと向き合うのかイメージがわかなかった。変に社会活動にかぶれすぎてたら引いちゃうかもなあ、なんて思ってもいた。

真っ暗闇の中「カモーン」と声が響いた瞬間会場はどっとわいて、わたしも隣の男の子も泣いていた。でも涙が出たのは最初だけで、あとはずっと笑って、手を叩いて、踊って、声をからすほど歌った。シンガロングも手拍子も、歌に合わせてみんな同じ振りで踊るのも全部好きじゃなくて、ライブではしれっとしてることが多かったのに、ごく自然に満面の笑みでいっしょになってる自分には驚いた。小沢くんは、禿げてもいなくて太ってもいなくて、一見あっけないくらい変わっていなかった。歌がうまくなっていて、長い長いブランクを感じさせないくらい、「ポップスター」としてのパフォーマンスは素晴らしいものだった。昔の歌に対してクールなんじゃないかとか、そんなに長い時間は演奏しないだろうなとか、予想は全部馬鹿みたいで、3時間一切手抜きなしで、嬉しそうに涙ぐんで。とても自然に、過去から今までの音楽やいろいろなものごとに向き合っているように見えた。90年代に徐々に顕著になっていった彼の思想の方向性に実体験が追いついて、とても余裕があるように思えた。変わんないけど変わってる。ああ、ほとんど姿を見せなかった長い間も、小沢くんはずっとミュージシャンだったんだな。

彼が今後どのような音楽活動をしていくにしろ(活発に活動するのかもしれないし、また沈黙しはじめるかもしれない)、今回のツアーというのは、ステージの上の人たちにとっても、受け止めるわたしたちにとっても、裏で支えているたくさんのスタッフさんにとっても、すごく特別なもので、だからこそこんな奇跡みたいな時間が生まれたんだと思う。もうこんな奇跡は起こらないのかもしれない。でもいい。それでもいい。

「天気読み」も「戦場のボーイズライフ」も、聴けるなんて思っていなかった。大切な大切な「ある光」はさわりだけで流されちゃったけど、さわりだけでも聴けたからいいや。新曲もとても良かったし、彼が長い海外生活を経て、より日本語で、よりエスニックな感覚を重視する方向で音楽を作っていることについてはとても興味深い。何にせよ、音楽というか、日本人ミュージシャンのライブに対して認識を改めるようなステージで、ずっと忘れられない。きっと。

今年はDaniel JohnstonWIlcoだけでもお腹いっぱいだと思っていたのに、本当に素晴らしいライブにばかり立ち会えてわたしは幸せです。本当に幸せ。